幕末期の儒学の大家安井息軒の旧宅が、
宮崎市清武町に現存しています。
「安井息軒旧宅」。
安井家は飫肥藩伊東家に仕えた儒臣で、
息軒は安井滄洲の次男に生まれました。
幼少期に天然痘の疱瘡で片目が潰れ、
醜い容姿となっていましたが、
学問に勤しみ… 続きを読む
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宮崎県西都市 大安寺/伊東家墓所
大安寺の墓地に伊東家の墓所があります。
かつて大安寺を含む周辺の地には、
伊東家やその家臣の墓が建てられましたが、
永い年月の間にそれらの墓は粗末に扱われ、
野放し状態となっていたという。
その後の昭和54年に墓地改修が行われると、
それらの墓を墓地の東側に移接。
伊東墓地として整備されています。
「伊東墓地」。
伊東家及びその家臣の墓が集められた墓所。
他寺から移された墓もありますが、
殆どは大安寺の墓地にあったものという。
家臣の墓は福永伊豆守… 続きを読む
東京都文京区 養源寺/安井息軒墓所
養源寺は元和2年(1616)創建の臨済宗寺院。
「本堂」。
養源寺は老中稲葉正勝が開基し、
正勝の手習師匠だった秀嶽を開山に迎え、
湯島天神切通下に創建されました。
後に明暦3年(1657)の振袖火事で焼失し、
現在地に再建されています。
この養源寺墓地に安井息軒… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/伊東祐相墓所
飫肥藩13代藩主伊東祐相の墓。
「従五位伊東祐相之墓」。
飫肥藩13代藩主伊東祐相の墓。
11代伊東祐民の長男に生まれますが、
家督は叔父の伊東祐丕が相続。
祐丕の死去に伴い僅か3歳で藩主となり、
藩政は元服まで重臣らに担われました。
元服後は殖産興業の奨励、軍制改革… 続きを読む
宮崎県日南市 招魂社
五百禩神社を出て山手側の招魂社へ。
「招魂社」。
○○招魂社とかいう名前は無く招魂社のみ。
境内は西公園という名称となっていますが、
公園らしきところは一段下の広場くらいです。
「西南役記念碑」。
階段上がって右手側にある記念碑。
台座には小倉処平以下、
戦死した飫肥士族の名が刻まれます。
右手側には西南戦争戦死者の墓碑が並ぶ。… 続きを読む
宮崎県日南市 五百祀神社/伊東家墓所
廃仏毀釈という仏教を廃する運動は、
明治政府が推進したものではありませんが、
全国的に破壊された寺院は数多い。
僕の地元である下関でも、
安徳天皇の墳墓のある阿弥陀寺が廃され、
赤間神宮となっています。
実際に腐敗していた寺院もあれば、
民衆から慕われた寺院が、
破壊された例もあるでしょう。
日本人の中にたまにいる、
「お祭り騒ぎでやり過ぎる人達… 続きを読む
宮崎県日南市 飫肥藩校振徳堂
飫肥藩の藩校振徳堂は、
11代藩主伊東祐民が開いた学問所を、
天保2年に13代伊東祐相が再建したもの。
校名は孟子の又従而振徳之に由来。
安井息軒の父安井滄洲が総裁を務め、
息軒や… 続きを読む