清光院には高槻藩永井家の墓所もあります。
「清光院」。
清光院は17あった東海寺塔頭で、
現在も当初の場所にある唯一の寺院。
この寺の奥平家墓所は有名ですが、
もうひとつの高槻藩永井家の墓所も、
充分に立派なものです。
「高槻家墓所」。
歴代藩主及び一族の49基が並ぶ墓所。… 続きを読む
東京都品川区 清光院/高槻藩永井家墓所
コメントを残す
清光院には高槻藩永井家の墓所もあります。
「清光院」。
清光院は17あった東海寺塔頭で、
現在も当初の場所にある唯一の寺院。
この寺の奥平家墓所は有名ですが、
もうひとつの高槻藩永井家の墓所も、
充分に立派なものです。
「高槻家墓所」。
歴代藩主及び一族の49基が並ぶ墓所。… 続きを読む
芥川宿は西国街道の2番目の宿場町。
芥川は元々摂津国人芥川氏の本拠で、
城館が置かれていたという。
高槻市芥川周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが芥川宿跡。
JR高槻駅前の商店街を抜けた所にあります。
「芥川仇討ちの辻」。
商店街の端にある寿司八百鶴にある説明板。
加藤家会津藩… 続きを読む
悲田院は貧しい人の救済の為の施設で、
奈良時代の興福寺に設置されたのが始まり。
後の平安京にも東西2ヶ所に置かれますが、
双方とも廃れて消滅してしまいました。
鎌倉時代後期に無人如導が悲田院を再興し、
室町期に後花園天皇の… 続きを読む
現代人の我々の感覚としては、
漢詩という小難しいものを理解し、
それに何かを感じるというのは少々難しい。
とはいえカタチは変わりますが我々の場合、
歌謡曲等の歌詞に感化される事もあります。
例えば40代中盤を越えた僕の場合、
最近巷で流れているような歌謡曲を、
良い曲だなと感じる事はあっても、
良い歌詞だなと感じる事はできませんが、
10代後半~20代に聞いた歌謡曲で、
心が揺さぶられた経験はありました。
例えればドリカム… 続きを読む
戦国時代に高槻を領した高山右近。
蒲生氏郷や黒田如水等にキリスト教を勧め、
豊臣秀吉のバテレン追放令で、
他のキリシタン大名が改宗する中、
地位や領地を捨ててまでも信仰を守り、
最終的にマニラ… 続きを読む