現在の亀山八幡宮の大鳥居は、
昭和8年に建てられたもので、
幕末当時のものではありません。
幕末当時の大鳥居は建て替えの際、
裏手に移築されて現在も残っています。
「車参道鳥居」。
亀山八幡宮北側の車参道の鳥居で、
江戸、明治期の大鳥居であったもの。
つまり、攘夷戦で欧米諸国が見ていたり、
幕末の志士が参拝の際にくぐった鳥居は、
この鳥居ということになります。
元治元年に撮影された… 続きを読む
下関市中之町 亀山八幡宮車参道鳥居
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現在の亀山八幡宮の大鳥居は、
昭和8年に建てられたもので、
幕末当時のものではありません。
幕末当時の大鳥居は建て替えの際、
裏手に移築されて現在も残っています。
「車参道鳥居」。
亀山八幡宮北側の車参道の鳥居で、
江戸、明治期の大鳥居であったもの。
つまり、攘夷戦で欧米諸国が見ていたり、
幕末の志士が参拝の際にくぐった鳥居は、
この鳥居ということになります。
元治元年に撮影された… 続きを読む
美祢市の中央部北側。
下領という場所にある八幡磨能峰宮に、
池田屋事件の殉難者広岡波秀の碑があります。
「八幡磨能峰宮」。
通称は下領八幡宮。
社伝によると創建は孝霊天皇の時代とされ、
紀元前200年代という事になります。
当初は天照大神… 続きを読む
滝部八幡宮は滝部の氏神として敬われ、
阿川毛利家の庇護を受けていました。
ここに吉田松陰が書いた碑文による、
烈婦登波の碑が建っています。
大鳥居の横の大きな石碑。
「中山太一顕彰碑」。
中山太一は滝部出身の実業家で、
化粧品製造の中山太陽堂創業者。
㈱クラブコスメチックスの前身です。
故郷の滝部に多額の寄付を行った人物。
八幡宮の隣にはノスタルジックな建物が。… 続きを読む
幕末(天保)の三剣士といえば、
男谷精一郎、島田虎之助、大石進の三人。
この中の一人である島田虎之助が、
下関の横野で道場を開いていた事は、
あまり知られていません。
中津藩士島田市郎右衛門の末子に生まれ、
人吉藩士宮原兵衛之助の養子となりますが、
出奔して中津に帰って来たとされ、… 続きを読む
亀山八幡宮は長門国三宮。
地元では亀山さんと呼ばれています。
この神社の境内に砲台が設置され、
攘夷戦の第1発目が発射されました。
境内に砲台が設置された理由は、
海に面していた神社だったからでしょう。
※現在は埋め立てらて海に面してはいない。
埋め立てされていない当時の亀山八幡宮。
石段の奥側が堂崎の渡し場で、
そこにある建物が津口番所と思われます。… 続きを読む