庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である酒井吉之丞家もそのひとつ。
「故荘内太夫酒井了恒君塋髪」。
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の遺髪墓。
慶応3年に酒井吉之丞家の11代となり、
戊辰戦争で… 続きを読む
山形県鶴岡市 大督寺/酒井吉之丞家墓所
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庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である酒井吉之丞家もそのひとつ。
「故荘内太夫酒井了恒君塋髪」。
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の遺髪墓。
慶応3年に酒井吉之丞家の11代となり、
戊辰戦争で… 続きを読む
庄内藩酒井家の菩提寺大督寺。
酒井家次が下総国臼井に転封した際、
酒井家の菩提寺として大信寺を建立し、
高崎への酒井家移封に従って移転。
酒井忠次正室碓井姫が死去した際、
その法号に因み大督寺に改称しました。… 続きを読む
庄内藩9代藩主酒井忠発は文久元年に隠居し、
江戸中屋敷の一部を解体し鶴ヶ岡城に移築。
文久3年、三ノ丸に御隠殿として完成し、
忠発はここで余生を過ごしました。
その後その広大な敷地を利用して、
旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎… 続きを読む
戊辰戦争で最強と称えられた庄内藩。
念願であったその居城を訪問しました。
庄内は上杉家と最上家が奪い合った地で、
豊臣政権時代は上杉領となっていましたが、
関ヶ原の戦いの後に米沢に減転封され、
代わって最上家が庄内地方を領します。
最上家は庄内地方の領地拠点として、
大宝寺城、… 続きを読む
横手城の戦いで討死した横手勢の戦死者は、
敵方の庄内藩一番大隊によって集められ、
城下の龍昌院に埋葬されています。
「龍昌院」。
常陸国時代より重臣戸村家の菩提寺で、
後に佐竹家が出羽半国に減転封となった際、
戸村家に随行して久保田に移り、… 続きを読む
庄内藩は三崎峠で新政府軍と戦いますが、
密かに別動隊に鳥海山を越えさせて、
新政府軍側の矢島陣屋を攻略します。
※交代寄合生駒家の陣屋。
戦後の高直しで矢島藩を立藩。
明治元年8月5日。
この報を聞いた… 続きを読む
鎌倉幕府の地頭であった岩城家は、
豊臣政権で磐城平12万石でしたが、
後に当主岩城貞隆は会津征伐に参加せず、
これを理由に兄の蘆名盛重や、
弟の多賀谷宣家… 続きを読む