①/②
備中松山城は日本一高所の現存天守の持ち、
条件が揃えば雲海に浮かぶ姿が見られます。
朝起きてみると霧が発生していたので、
城に登るだけの予定でしたが、
遠くから眺めることにしました。
・・とはいえ家族旅行です。
僕だけなら飯抜きで朝駆けも可能ですが、
幼児に朝食抜きも無理でしょうし、
朝食が楽しみな嫁さんもいますので、
しっかり食べてから出発。
霧に浮かぶ姿を望める展望台についたのは、
午前10時頃となりました。
「… 続きを読む
津山城は津山藩の藩庁。
美作国は領主が幾度も代わった地で、
小早川秀秋の領地でしたが、
秀秋の死で小早川家が無嗣改易となり、
川中島藩より森忠政が入封します。
忠政は新たな居城の建設を計画し、
築城場所をめぐって家中で騒動が発生し、
暗殺や出奔等の騒ぎが起きています。
紆余曲折を経て… 続きを読む
鳥取藩は因幡、伯耆2国を領有した大藩。
藩主家の池田家は外様大名ですが、
幕府より準親藩の扱いを受けました。
織田信長の重臣池田恒興は、
小牧長久手の戦いで羽柴秀吉に味方しますが、… 続きを読む
上田城といえば真田昌幸の城として、
2度も徳川勢を防いだ事で知られます。
昨今は大河ドラマ[真田丸]の影響からか、
知名度は相当高いでしょう。
とはいえ江戸時代は真田家の城ではなく、
松平伊賀守家が藩主となっています。
僕は大河[真田丸]のオープニングでは、
真田家の城と思われる城が出てきますが、
それは上田城や沼田城などではなく、
調べてみるとあれは備中松山城… 続きを読む
高遠城の築城時期は正確には不明で、
諏訪家一門の高遠頼継の居城だったとされ、
武田信玄の諏訪攻略を援護したようです。
しかし頼継は後に信玄と対立して敗北。
高遠城は武田家の信濃進出の拠点となり、
山本勘助や秋山信友が大規模改築して、
信玄の庶子四郎勝頼の諏訪家継承により、
勝頼が高遠城の城主となりました。
信玄の嫡子武田義信… 続きを読む
岡山城は宇喜田秀家が築城した平山城。
秀家は豊臣家五大老のひとりでしたが、
関ヶ原の戦いで西軍とした戦って改易され、
同じく関ヶ原の戦いにおいて、
寝返った小早川秀秋が岡山城に入ります。
しかし秀秋は2年後に早逝してしまい、
無嫡であった為に小早川家は断絶。
池田輝政の次男池田忠継… 続きを読む
岡崎城は徳川家康の生誕地。
家康は3歳で実母と生き別れており、
6歳で今川義元の人質となり、
父松平広忠は謀反で殺された為、
※諸説アリ。
岡崎城は今川家の支城となっています。
桶狭間の戦いで義元が討たれると、
家康は岡崎城を取り戻して今川家から独立。
後に浜松城に本拠を移すと、
嫡男… 続きを読む