関ヶ原の敗戦で改易となった小早川秀包は、
毛利輝元によって再び召し抱えられて、
小早川姓を捨てて毛利秀包を名乗ります。
※小早川秀秋の裏切りを忌み嫌った為。
しかしその翌年に病死してしまい、
家督は嫡男の毛利元鎮が相続。
元鎮は父秀包の亡骸を滝部に葬りました。… 続きを読む
「毛利家」タグアーカイブ
下関市豊北町 阿川宿跡
阿川は油谷湾南西部の阿川湾にあり、
湾曲する砂浜に沿うように街道が伸び、
そこに宿場が設置されていました。
一門家老家の阿川毛利家の本拠でもあり、
宿場の南側には居館が建てられています。
豊北町阿川周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが阿川の街並み。
「阿川浜」。
白砂が美しい阿川湾内。
阿川ほうせんぐり海浜公園ビーチとして、… 続きを読む
山口県山陽小野田市 厚狭毛利家居館跡
厚狭毛利家は長州藩一門家老家のひとつで、
毛利元就の八男末次元康を祖とします。
関ヶ原後に宗家が防長二国に減封された後、
長門国厚狭郡周辺を与えられており、
厚狭毛利家と呼ばれるようになりました。
元康の跡を継いだ2代当主毛利元宣は、
厚狭郡末益村に居館を構えており、… 続きを読む
下関市阿内 阿内八幡宮/清末陣屋表門
清末地区の西側の阿内地区の八幡宮に、
清末陣屋の表門が移築されています。
「阿内八幡宮」。
平安時代初期の貞勧2年(860)に、
宇佐八幡宮より勧請したとされ、
仲哀天皇の禊の地… 続きを読む
下関市一の宮 住吉神社(再訪)
神道では神の霊魂は2つの側面を持ち、
優しく平和的な和魂と、
荒々く攻撃的な荒魂があるとされ、
同じ神でも全く違う性格を持っていました。
住吉三神は表筒男命、中筒男命、
底筒男命の三神で、
イザナギ命… 続きを読む
下関市清末 清末護国神社(再訪)
清末八幡宮に隣接する清末護国神社は、
明治13年に清末藩の歴代藩主を祀る為に、
清栄神社として創建され、
後に国事に殉じた77柱を合祀して、
清末護国神社と改称したもの。
「清末御國神社」。
初代藩主や歴代藩主を祀る神社は、
明治初期に各地に創建されますが、
清末にも藩主を祀る神社が建てられました。
これに清末藩の戦死者も合祀され、
招魂社として護国神社となっています。… 続きを読む
下関市清末 清末八幡宮(再訪)
清末八幡宮は建武2年(1635)に、
宇佐八幡宮より勧請されて創建されますが、
その後は長らく荒廃していた為、
清末藩の初代藩主毛利元知が再建し、
藩の守護神として祀っていました。
現在の社殿は8代藩主毛利元純によって、
整えられたものです。
「清末八幡宮」。
御祭神は仲哀天皇、… 続きを読む