毛利家」タグアーカイブ

山口県山口市 泰雲寺/小早川隆景墓所

泰雲寺は山口市小鯖にある曹洞宗の寺院。
応永10年(1404)に大内盛見が建立し、
※盛見は大内家11代当主。
始めは闢雲寺と称したという。
大内教弘の時代に現在地に移転し、
※教弘は大内家13代当主。
教弘の菩提寺となっています。
その後に大内家は滅びますが、
小早川隆景の菩提寺となっており、
死後にその分骨が納められました。
奥方の… 続きを読む

山口県防府市 徳性寺/毛利元倶墓所

徳性寺右田にある浄土宗の寺院で、
天文5年(1536)に西雲寺として創建。
その後は廃れていましたが、
寛永2年(1625)に毛利元倶が右田に入封し、
翌年に正室松崎の方が死去してしまった為、
その菩提寺として再建されたようで、
寺号も徳性寺と改められました。


本堂続きを読む

下関市豊田町 毛利秀包夫人引地君の墓

小早川元包の正室である引地君は、
豊後の戦国大名大友宗麟の末娘。
父同様に洗礼を受けたキリシタンで、
洗礼名はマセンシアであったという。
久留米城主となった小早川秀包に嫁ぎ、
秀包もその影響を受けて洗礼。
久留米城下に天主堂続きを読む

下関市豊田町 毛利元鎮墓所

一門家吉敷毛利家初代当主毛利元鎮は、
小早川秀包の嫡男に生まれますが、
秀包は関ヶ原の戦い西軍に属した為、
久留米13万石を改易されてしまいます。

秀包は元鎮らを連れて長州藩を頼り、
新たに知行地を与えられていますが、
その際に小早川姓を捨てて毛利姓に復帰。
しかし秀包はその翌年に病死してしまい、… 続きを読む

山口県長門市 大寧寺墓地/阿川毛利家墓所

毛利家一門の阿川毛利家は、
吉川元春の二男繁沢元氏の系譜。
始め仁保隆在の養嫡子となって跡を継ぎ、
仁保元棟を名乗っていましたが、
仁保の名跡を娘婿の神田元忠に譲り、
自らは繁沢元氏と名乗りました。
関ケ原の戦い後に毛利家が減封されると、
玖珂郡に3000石を与えられて移り、
大坂冬の陣続きを読む

山口県周南市 毛利元政宝篋印塔

宍戸家墓所より更に奥へ進み、
少し開けた場所を過ぎると、
2つの宝篋印塔が見えてきます。


毛利元政宝篋印塔(左)」、
宍戸元続夫人の墓(右)」。
右田毛利家初代毛利元政と、
宍戸家初代宍戸元続夫人の宝篋印塔。
隣同志ですが夫婦関係ではありません。
元政は毛利元就続きを読む

山口県周南市 毛利元就公歯廟

関ケ原の戦いに敗れた毛利家が、
長門周防二国に減封された際、
熊毛郡三丘毛利元政に与えられますが、
※旧姓天野元政。三丘入封時に復姓。
寛永2年(1625)の藩内知行地替えにより、
2代当主毛利元倶続きを読む