盛岡藩」タグアーカイブ

秋田県北秋田市 今泉宿跡

今泉宿羽州街道の51番目の宿場町。
前山宿小繋宿の間にある宿場ですが、
情報があまりありません。


北秋田市今泉周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。


今泉宿跡」。
周辺の他の宿場同様に古い家々は無し。
雪があるせいもあるかもしれませんが、
歩いても何も見つけられませんでした。
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青森県三戸郡 三戸城跡

三戸城三戸南部家の居城だった城で、
約200年間居城とした聖寿寺館が焼失し、
※家臣の赤沼備中が24代南部晴政を恨み、
 放火したという。
新たな居城として築かれた城です。
熊原川を臨む台地に曲輪を配置した城郭で、
南部家の本拠に相応しい広大な山城でした。


「… 続きを読む

青森県三戸郡 三戸宿跡

三戸宿奥州街道の99番目の宿場町。
南部家の居城三戸城の城下町で、
盛岡城に拠点が移ってからも廃城されず、
城代が置かれ支城として維持されます。
正式に支城として認められたものではなく、
南部家の聖地的な場所として管理され、
石垣補修や掃除などが行われたようで、
※後に城代は廃止され代官支配となります。続きを読む

岩手県二戸市 金田一宿跡

金田一宿奥州街道の98番目の宿場町。
地名の由来はアイヌ語に由来するとされ、
金田(山中の)一(市)という意味があるという。
南部氏の支族四戸氏がこの地を拝領し、
金田一姓を名乗ったともされ、
言語学者金田一京介やその子金田一晴彦等、
有名な学者の名で知られていますし、… 続きを読む

岩手県二戸市 福岡宿跡

福岡宿奥州街道の97番目の宿場町。
元々は二戸と呼ばれていましたが、
九戸政実の乱後に福岡と改称されました。


九戸城跡周辺。緑の線が奥州街道で、
ピンク線が九戸村に続く白鳥道。
青でぼかした辺りが宿場だった場所。

南から浪打峠を越えて北上し、
久府坂を下ったT字路から、
福岡宿に入ります。… 続きを読む

岩手県二戸郡 一戸宿跡

一戸宿奥州街道の96番目の宿場町。
中世には南部氏一族の一戸氏が拠点とし、
一戸城も築城されていましたが、
戦国時代末期に廃城となっています。
江戸時代には宿場が置かれており、
南側の沼宮内宿には峠が控えていた為、
旅人の宿泊が多かったという。


一戸本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。

南側より一戸宿跡へ。… 続きを読む

青森県十和田市 藤島宿跡

藤島宿奥州街道の103番目の宿場町。
奥入瀬川の南側が宿場だった場所で、
橋は架けられなかった為に、
川瀬には船場が設けられていたようで、
繰舟で通行が行われていました。
※両岸に綱を張って繰り寄せていた舟。


十和田市藤島周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。


藤島宿跡」。
県道145号戸来十和田線が街道筋で、
宿場の面影は殆ど見られません。
旅館だったであろう建物もありますが、… 続きを読む