立花家」タグアーカイブ

福岡県大牟田市 紹運寺/三池藩立花家墓所

元和7年(1621)に旗本立花種次は、
5000石を加増されて1万石に達します。
大名となった種次は新町に三池陣屋を構え、
同時に菩提寺の紹運寺を創建。

伯父の柳河藩初代立花宗茂の援助を得て、
藩政の確立を精力的に行こないますが、
10年の治世の後に病死してしまい、
紹運寺に葬られています。


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福岡県柳川市 福厳寺/柳河藩立花家墓所②

①/

つづき。


興源院殿慈雲紹蔭大居士之塔」。
5代藩主立花貞俶の墓。
立花帯刀家当主立花茂高の次男に生まれ、
旗本立花弾正家の養子となっていますが、
柳河藩4代立花鑑任が継嗣なく死去した為、… 続きを読む

福岡県柳川市 福厳寺/柳河藩立花家墓所①

①/

福厳寺柳河藩立花家の菩提寺。
大友宗麟の宿老であった戸次鑑連が、
継母の養孝院を糟屋の梅岳寺に葬り、
寺名を養孝院したのが創建とされ、
立花家が柳河へ転封された際に、
現在地に移って梅岳寺に改められます。

立花家は関ケ原の戦い続きを読む

福島県伊達市 耕雲寺/下手渡藩立花家墓所

三池藩立花家柳河藩立花家の支流ですが、
幕府より加増を受けて大名となっており、
宗家の柳河藩立花家の支藩ではありません。

しかしながら三池藩初代藩主立花種次は、
柳河藩初代立花宗茂の甥であり、
その所領は柳河藩と同じく筑後国にあり、
何かと宗家の援助を受けていました。

6代藩主立花種周続きを読む

福島県伊達市 下手渡陣屋跡

柳河藩初代立花宗茂の実弟立花直次は、
関ケ原の戦いで西軍でだった為、
兄の宗茂と共に改易されますが、
後に2代将軍徳川秀忠に召し抱えられ、
常陸国筑波郡柿岡5000石を拝領。
その次代立花種次は5000石加増され、
高橋紹運続きを読む

福岡県柳川市 柳川城跡

柳河藩立花家の初代藩主立花宗茂は、
大友宗麟配下の武人高橋紹運の長男で、
立花道雪の養嗣子となった人物。
この両雄を父と養父に持つサラブレッドは、
後に宗麟が豊臣秀吉に下った際に、
豊臣家の直参家臣となりました。
これは秀吉が宗茂を譲るように命じたとも、
宗麟が家中の逸材である宗茂を譲って、
自分の忠義を示したともされますが、
兎に角それほどの人物だったという事です。
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福岡県大牟田市 三池陣屋跡

三池藩三池立花家が支配する小藩ですが、
本流柳河藩立花家の支藩ではなく、
一族ではありますが独立した藩でした。
大友宗麟配下であった高橋紹運の次男で、
柳河藩初代立花宗茂の弟、
高橋直次の嫡男立花種次を藩祖とします。

直次は… 続きを読む