長府藩」タグアーカイブ

中山忠光の逃避行③

つづき。
//③//

常光庵で潜伏していた中山忠光でしたが、
常光庵のある上畑村は戸数十数戸の山里。
川で釣り糸を垂らすだけしか出来ず、
血気盛んな忠光には耐えられなかった様子。
下関外国艦隊続きを読む

下関市長府 長府藩御船手の石積跡

豊浦高等学校の裏手の檀具川河口に、
長府藩御船手の石積跡があります。


長府毛利家御船手の石積跡」。
藩籍船が係留されたとされる波戸場の跡。
長府藩船手の詳しい資料がありませんが、
海運の要所を藩領を持つ長府藩ですので、
ある程度の舟数は揃えていた事でしょう。

この場所に行くのは少々ややこしく、
豊浦高の裏手から行けない事もないのですが、
道が狭く入り組んでいてややこしい。
簡単に言うと長府観光協会続きを読む

山口県山口市 亀山公園(再訪)

山口市の亀山公園には、
長州藩主毛利敬親の銅像があります。


毛利敬親公之像」。
以前も訪れたことがあるのですが、
山口県山口市 亀山公園~敬親と井上と周布
綺麗に整備されたらしいので再訪しました。
亀山公園は亀山山頂を平地にした公園で、
その中央に毛利敬親の銅像が置かれています。

実はここには敬親の銅像だけでなく、
四支藩藩主の銅像が建てられていたようで、
広場を長州藩領に見立てて、
それぞれの領地に該当する場所に、… 続きを読む

下関市清末 清末陣屋跡

清末に用があったので清末陣屋跡に再訪。
市内とはいえ行動範囲とは外れていますし、
これといった遺構があるわけでもない。
なかなか訪問する機会も無いのですが、
気が向いたのでちょっと行ってみました。

清末藩は唯一の孫藩という立場にある藩。
長州藩の支藩長府藩のさらに支藩で、
長州藩を親とすれば孫のような立場でした。

全国の他の支藩が分家を作り、
1万石以上を与えた例はありましたが、
幕府に認められたのは清末藩だけ。
※幕府続きを読む