年末年始は嫁さんの実家の益田市に行きます。
この際に益田市周辺の史跡を廻るのですが、
今回は益田市の隣浜田市に行ってみました。
お目当ては[浜田城跡]です。
浜田城は亀山という丘陵あった平山城。
石州戦争で藩は浜田城を自焼させて撤退し、
城内の建物の殆どを焼失させてしまいました。
「濱田護国神社」。
維新後の英霊2万3000柱が祀られています。
石州戦争で浜田藩は幕府側であったため、
石州戦争での戦死者は祀られていません。
ですが浜田藩の為に戦死した者も、
ある意味では国の為に戦死したはずです。
浜田藩にも岸静江などの英雄がいましたし、
合祀することはできないものでしょうか?
※岸静江は靖国神社には合祀されています。
境内には[木口小平銅像]があります。
日清戦争でラッパを吹いたまま絶命し、
英雄となった喇叭(ラッパ)手。
「浜田藩追懐の碑」。
護国神社の裏手にある司馬遼太郎の碑文。
司馬は[花神]での取材の為、
浜田市に滞在していました。
「津和野藩武家屋敷の門」。
浜田県庁正門として使われていたものが、
いらなくなったのでここに置いたようです。
城には縁もゆかりもないとのこと。
門を抜けると結構な階段が・・。
みよちゃんが登るのは不可能です。
仕方なく抱っこして登りました。
結構な規模の城です。自焼はとっても惜しい。
幕長戦争において小倉城も自焼していますが、
小倉城の場合は平城で守るに難い城でした。
こちら籠城戦も不可能ではない様子。
当時の長州勢なら大村益次郎であっても、
簡単には落とせないと思います。
「本丸跡」。
なにやら銅像の台座らしいものがありますが、
調べてみると[報国忠勇之碑]があったらしく、
台座の上に砲弾と砲身があったようで、
戦争で供出され失われたようです。
※この碑は元奇兵隊士竹中安太郎の発案で、
本丸跡に建てられたもの(記事はこちら)。
浜田城のGCI再現図。
かつてはこんな感じだったようです。
【浜田藩→鶴田藩】
藩庁:浜田城(後に鶴田陣屋に移転)
藩主家:越智松平家
分類:6万1000石、親藩大名
■関連記事■
・浜田城自焼後の浜田藩①
浜田城自焼後の浜田藩の逃避行 。
・島根県浜田市 観音寺/岸静江墓所
岸静江は浜田藩士最初の戦死者。
・「浜田城炎ゆ 長州戦争と松平武聰」小寺雅夫
幕末浜田藩について書かれた本。
・岡山県津山市 鶴田陣屋跡
飛地鶴田を藩庁として鶴田藩となっています。