「大分県」カテゴリーアーカイブ

大分県杵築市 立石陣屋跡

立石陣屋は交代寄合立石木下家の本拠。
木下家は豊臣秀吉の正室高台院の実家で、
元々は杉原氏を名乗っていましたが、
秀吉に重用されて豊臣姓木下氏を名乗り、
その姻戚として厚遇されています。
豊臣家滅亡後も紆余曲折あったものの、
大名として足守藩主及び日出藩主… 続きを読む

大分県杵築市 長流寺/立石木下家墓所②

①/②
つづき。

同じく資料が少なく写真と少々の逸話のみ。

「卽心顯宗」。
5代当主木下俊恵の墓。
安永10年(1781)、死去。


「温恭義俊」。
6代当主木下俊昌の墓。
安永8年(1779)、死去。
5代までの当主の遺骸は泉岳寺… 続きを読む

大分県杵築市 長流寺/立石木下家墓所①

①/②

長流寺は杵築市山香町にある曹洞宗寺院。
交代寄合立石木下家の菩提寺で、
歴代当主の墓所が営まれています。
立石木下家は日出藩木下家の分家で、
日出藩初代藩主木下延俊が2代木下俊治に、
1万石を四男木下延由に分知する事を遺言。… 続きを読む

大分県臼杵市 吉四六さんの墓

吉四六さんは[三大とんち者]のひとりで、
※他の二人は一休さん、彦一さん。
多くのとんち話が伝わる人物。
麦焼酎二階堂の高級銘柄にも名が使用され、
そのヘンテコな名前も相まって有名です。
この吉四六さんは実在していたようで、
実名は廣田吉右衛門… 続きを読む

大分県豊後大野市 三重市宿跡

三重市宿は日向街道の宿場町。
三重宿、市場宿とも呼ばれていたようで、
周辺集落の物資集積地でもありました。
臼杵藩の支配地だったようで、
天保期より領内中核町として代官所も設置。
在郷町としても発展したようです。


三重町市場周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが三重市宿跡。

南西側より散策。

街道沿いは変哲もない路地。… 続きを読む

大分県豊後大野市 大友親時墓所

大友親時は豊後大友家4代当主。
鎌倉中後期の人物で、
父大友頼泰と共に元寇にも出陣し、
諸将を率いて蒙古軍を追い払いました。
父の隠居に伴い家督を相続しており、
鎮西談議所頭人も務めましたが、
その父に先立って死去しています。


「大楽寺跡」。
三重町久田にある… 続きを読む

大分県豊後大野市 白山川

奥豊後随一の清流とされる白山川は、
傾山をその水源として流れ、
渓流沿いの岩壁から地下水が湧き出し、
川底の溶結凝灰岩を長い歳月を掛けて、
少しずつ侵食させています。


「白山川」。
訪問時の前日は大雨だった為、
濁っているのではと思っていましたが、
何事も無いように綺麗に澄んでいました。
大量の湧き水が濁水を流しているのでしょう。… 続きを読む