山形県」カテゴリーアーカイブ

山形県米沢市 米沢城跡②

つづき。
/②


上杉神社」。
米沢城本丸跡に鎮座する上杉神社
上杉謙信の遺骸は、鎧を着せて帯刀させて、
甕に入れて漆で密封されたという。
この甕は上杉家の移封と共に移動し、
関ケ原の戦いの後に上杉家が米沢藩に移った際にも、
米沢城の本丸に御堂を建てて安置され、
明治維新続きを読む

山形県米沢市 米沢城跡①

①/

毘沙門天の化身として戦では無敗を誇り、
軍神と称えられた義の武将上杉謙信
米沢藩上杉家はその上杉謙信を藩祖とします。
謙信は生涯不犯を貫いた為に子は無く、
事故で溺死した親戚長尾政景の子を養子とし、
これが後の上杉景勝続きを読む

山形県山形市 出羽国分寺薬師堂

国分寺聖武天皇が仏教による国家鎮護の為に、
国司郡司を発して建立させた寺院。
時代が過ぎて律令体制が弛緩してくると、
官の援助を受けられずに多くの国分寺は荒廃しましたが、
独自に宗派や性質を変えて存続した例も多くあり、
現在もまだ存続し続ける国分寺もあります。

出羽国分寺は現在地とは別の場所にあったようですが、
具体的な出羽国分寺の置かれた場所は不明で、
庄内続きを読む

山形県山形市 水野三郎右衛門関連史跡

山形藩筆頭家老水野三郎右衛門元宣は、
藩主不在の山形藩をまとめて、奥羽越列藩同盟に加盟。
秋田戦争などで新政府軍と戦い、
敗れた後は自ら首謀者としてその責を背負い、
新政府軍によって処刑されました。

列藩同盟への参加、新政府軍への降伏、
そして自らが全責任を負って処刑された事など、
三郎右衛門による適切な判断の結果、
山形城下は結果的に戦火を免れています。
これは三郎右衛門の功績であると、
山形では郷土の恩人続きを読む

山形県山形市 山形城跡

山形藩は幕政で失脚した大名の左遷藩という、
非常に不名誉な印象を受けている藩です。
確かに藩主家は12回も代わっており、
その理由も失脚によるものが多いようです。

とはいえかつては最上家の本拠地であり、
なんら忌み嫌われる要素があった訳ではありませんが、
表高実高の差が大きかったようですので、
懲罰的転封続きを読む