戊辰戦争で最強と称えられた庄内藩。
念願であったその居城を訪問しました。
庄内は上杉家と最上家が奪い合った地で、
豊臣政権時代は上杉領となっていましたが、
関ヶ原の戦いの後に米沢に減転封され、
代わって最上家が庄内地方を領します。
最上家は庄内地方の領地拠点として、
大宝寺城、… 続きを読む
山形県鶴岡市 鶴ヶ岡城跡
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戊辰戦争で最強と称えられた庄内藩。
念願であったその居城を訪問しました。
庄内は上杉家と最上家が奪い合った地で、
豊臣政権時代は上杉領となっていましたが、
関ヶ原の戦いの後に米沢に減転封され、
代わって最上家が庄内地方を領します。
最上家は庄内地方の領地拠点として、
大宝寺城、… 続きを読む
松平利長は上山藩藤井松平家の家祖で、
徳川家康の高祖父松平長親の五男でした。
三河国の碧海郡藤井村を領した為、
藤井松平家と称していたようで、
2代松平信一から家康に仕えて、
土浦藩3万5000石を与えられています。
その後3代松平信吉… 続きを読む
米沢市の高国寺に近藤勇の墓があります。
近藤は新選組局長として京で活躍しますが、
鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に帰還。
甲陽鎮撫を命じられて甲府に向かい、
甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗北し、
下総国の… 続きを読む
明治元年8月23日、
新政府軍は鶴ヶ城に迫り、
会津藩は籠城戦を決意しました。
そこで友軍の米沢藩に援軍を要請する為、
堀粂之助と吉村寅之進を米沢に派遣。
2人は9月3日に米沢に到着し、
直ちに家老竹俣久綱に面会し、… 続きを読む
林泉寺墓地の最奥。
藩主の奥方の墓域より更に奥側に、
新田藩上杉家の墓があります。
「上杉駿河守勝周の墓」。
米沢新田藩初代藩主上杉勝周の墓。
勝周は4代上杉綱憲の四男として生まれ、
父の隠居で兄上杉吉憲が5代藩主となると、
1万石を分与されて新田藩を立藩。
麻布の米沢藩邸の一部を借用した為、
[… 続きを読む