山形県米沢市 高国寺/近藤勇墓所

米沢市高国寺近藤勇の墓があります。

近藤は新選組局長として京で活躍しますが、
鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に帰還。
甲陽鎮撫を命じられて甲府に向かい、
甲州勝沼の戦い新政府軍に敗北し、
下総国の流山で捕縛されて斬首されました。

首級三条河原で晒されますが、
その後の首級の行方に諸説あるという。
①近藤の首を刎ねた横倉喜三次の覚書では、
東本願寺が引き取り東大谷に埋葬。
※横倉喜三次は相楽総三も斬首しています。
斎藤某が首級を盗み、
宝蔵寺に供養を依頼しましたが、
住職が末寺法蔵寺に移った為、
その法蔵寺に埋葬。
土方歳三が近藤の首級を手に入れ、
会津若松天寧寺に葬った。
④近藤の従弟近藤金太郎が首級を盗み、
米沢に持ち帰って高国寺に埋葬したという。
などなど。

今回は④高国寺の近藤の墓を訪問しました。

高国寺」。
鍛治屋町にある曹洞宗の寺院。
墓所には上杉鷹山の改革に貢献した、
和算家の黒井半四郎の墓もあります。


勇生院頭光放運居士」。
新選組局長近藤勇の墓。
ここに近藤の首級が埋葬されているという。
近藤金太郎は近藤勇のいとこで、
米沢で織物を生業にしていたという。
板橋で斬首された近藤の首級を盗み、
赤羽近くの川原で焼いて米沢に帰り、
高国寺の近藤家墓地に埋めたとされます。
これを知るのは金太郎と息子近藤勇太郎
そして孫の近藤利三郎だけで、
この話はその利三郎が語ったもの。

近藤の首級は三条河原で晒されており、
板橋から盗んだのなら晒された首は?
また近藤勇のいとことされますが、
近藤勇は養子で旧姓は宮川ですので、
いとこではなく養子先の親戚でしょう。
それ程縁も薄い近藤の首を、
盗んでまで持ち帰るのだろうか?

話の出所は利三郎のものだけなので、
幼い頃の記憶違いか?
お爺様の戯れを孫が本気にしたのか?
はたまた本当に近藤勇の首級で、
板橋で盗まれた為に似た顔の罪人の首を、
三条河原で晒したのか?

真実を知る事は出来ませんが、
この墓の下に首級があろうがなかろうが、
近藤勇を弔う為に建てられたわけで、
この墓は近藤勇の墓であることは、
間違いない事実だと思います。

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