禁門の変」タグアーカイブ

京都府京都市 長州藩京都藩邸跡

京都ホテルオークラの前身京都ホテル
※現在も運営会社は㈱京都ホテル
ホテルオークラとの業務提携で、
平成14年に現在の名称になったもので、
60mの高層ホテルは市街一の高さという。
その前が「常盤ホテル」であり、
神戸で温泉料亭「常磐楼」を営む前田又吉続きを読む

京都府京都市 蛤御門

蛤御門京都御所外郭九門の一つで、
正式名称は「新在家御門」といいます。
蛤御門は通称で御所外郭の火災の際、
通常閉じられていた門が開かれた為、
炙ると開くになぞらえて呼ばれた俗称。
都人の洒落で名付けられたわけです。

ここは禁門の変の戦端が切られた場所で、
禁門の変は別名蛤御門の変続きを読む

京都府京都市 黒谷会津藩殉難者墓地

金戒光明寺周辺の巨大な墓地を通り、
塔頭である西雲院へ。


西雲院」。
朝鮮出兵の際に連れてこられた青年宗厳は、
滝川雄利の娘の使用人として働きますが、
娘は17歳の若さで病死してしまいます。
人生の無常を感じた宗厳は黒谷で出家。
諸国を巡る修行に出た後に黒谷に戻り、
金戒光明寺第27世… 続きを読む

兵庫県豊岡市 桂小五郎居住跡

元治元年7月。
禁門の変に敗れた長州藩朝敵となりましたが
桂小五郎はそのまま京都に潜伏しています。
しかしもはや工作も不可能で潜伏も状態となり、
出石の町人広戸甚助に支援を求め、
甚助の手引きによって出石に匿われました。
父と弟の直蔵にも引き合わせて協力を得て、… 続きを読む

山口県萩市 笠松神社

長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。

益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
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