世良修蔵は東北諸藩に不遜な態度を取り、
さらに彼の「奥州皆敵」と書かれた密書が見つかった為、
これに激怒した仙台藩士らに殺害されました。
この事が奥羽越列藩同盟成立に繋がり、
戊辰戦争への引き金となった訳で、
世良は後世で鬼畜のような扱いを受けています。
しかし彼はどちらかといえば学者肌の志士で、
それ以前に粗暴な振る舞いがあった記録は無い。… 続きを読む
周防大島町 世良修蔵招魂碑
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世良修蔵は東北諸藩に不遜な態度を取り、
さらに彼の「奥州皆敵」と書かれた密書が見つかった為、
これに激怒した仙台藩士らに殺害されました。
この事が奥羽越列藩同盟成立に繋がり、
戊辰戦争への引き金となった訳で、
世良は後世で鬼畜のような扱いを受けています。
しかし彼はどちらかといえば学者肌の志士で、
それ以前に粗暴な振る舞いがあった記録は無い。… 続きを読む
「げっしょう」という名の勤皇僧が二人います。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊皇攘夷派の僧月照で、
もう一人が海防僧と呼ばれた熱血漢の月性でした。
月性は妙円寺の住職の娘の子として生まれ、… 続きを読む
豊臣秀吉の旗本であった蒔田広定は、
父の蒔田広光が死去すると、
その跡を継いで1万石の大名となりましたが、
関ヶ原の戦いで西軍に属したために改易。
後に、舅であった大島光義や、
親交のあった浅野行長らの尽力で許されて、
備中浅尾に転封となり、… 続きを読む