京都府京都市 天授庵/細川家墓所

天授庵南禅寺塔頭で、
南禅寺15世虎関師錬によって、
開山無関普門の塔所として開山されました。
南禅寺は火災や戦火で何度も失われ、
天授庵も喪失しています。
後に細川藤孝によって再興され、
細川家の菩提寺となりました。


通用門」。
正門は閉ざされておりこちらから拝観。
拝観は有料で大人500円。


庫裏」。
拝観は庭だけで建物には入れません。
それはそれでいいのですが、
庭が狭くて建物の全体が撮れず、
撮影は諦めました。


書院南庭」。
拝観は美しい庭を観る為のもの。
確かに美しい庭園でしたが、
訪問時は紅葉はもう少しでした。

墓地は受付で聞くと入っていいとの事。

細川家墓所」。
垣根で囲われた細川家の墓所。
細長い墓地の中央東寄り付近にあります。


細川幽斎夫婦御霊屋(右)」、
細川忠利遺髪塔(左)」。
御霊屋は閉じられて確かめられませんが、
細川藤孝(幽斎)と正室光寿院の墓が、
内部にあると思われます。
※同葬墓1基か或いは小さな墓が2基。
奥は孫の細川忠利の遺髪塔でしょう。
藤孝は13代将軍足利義輝に仕え、
後に織田信長の協力を得て、
足利義昭の15代将軍擁立に尽力。
後に義昭が信長に追われると、
信長に従って大名となっています。
本能寺の変の後に隠居しており、
家督を長男細川忠興に譲っていますが、
その後も豊臣秀吉徳川家康に重用され、
武将として参加しました。
藤孝は二条流古今伝授の伝承者で、
当代一流の文化人でもあった為、
大名に歌道の弟子も多かったという。
正室光寿院はキリシタンで、
洗礼名はマリアだったようですが、
晩年は改宗したのでしょうか?

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