東京都台東区 谷中霊園/高松凌雲墓所

赤十字運動の先駆者高松凌雲の墓。


高松凌雲 配 久子 墓」。
高松凌雲とその妻久子の墓。
筑後国古飯村の庄屋の三男に生まれ、
久留米藩家老の家臣の養子となりますが、
養家に嫌気が差して出奔。
江戸で実兄古屋佐久左衛門を頼り、
医師となる事を志して石川玄貞に学び、
後に適塾緒方洪庵に学びました。
慶応元年に一橋家典医となり、
一橋慶喜が15代将軍となった為、
直ぐに奥医師として登用され、
慶応3年にはフランスに幕費で留学。
その留学中に幕府は崩壊しており、
僅か1年半で帰国すると、
江戸は既に新政府に接収されていた為、
榎本武揚と合流して蝦夷へ向かいます。
蝦夷では箱館病院の院長となり、
箱館戦争の負傷者を敵味方問わず治療。
これが日本の赤十字運動の最初とされ、
新政府軍参謀黒田清隆がこれを評価し、
降伏交渉の仲介を依頼されており、
箱館戦争終結に貢献する事となります。
降伏後も負傷者の治療にあたり、
これが落ち着くと東京に送られ、
賊軍の医師として徳島藩で謹慎。
放免された後は東京で水戸徳川家に仕え、
同時に浅草で医院を開業しました。
西南戦争でも野戦病院で負傷者を治療し、
帰って来ると鶯渓病院を開業。
同志と共に同愛社を興し貧民治療を行い、
救護事業の先駆者となっています。
大正5年、死去。

墓所は谷中霊園乙5号2側

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