山口市小鯖にある泰雲寺。
ここに益田七内の五輪塔があります。
「正通院殿要甫紹玄居士」。
問田深野の領主益田七内の墓で、
若殿の守役を務めていたようですが、
泰雲寺で乗馬の稽古をしていた際に、
若殿を落馬させて失明させてしまい、
その責任を取って切腹したとのこと。
この益田七内という人物が謎で、
正保3年(1646)に死去したようですが、
問田深野の領主という事ながら、
門田益田家に該当する人物はいません。
初代益田景祥は寛永7年(1630)死去で、
2代益田就固は天和元年(1682)死去。
初、2代共に当てはまらないようです。
※景祥は七内を通称としていますが、
就固は修理を通称としたようです。
この七内の七回忌が行われた際、
就固が本堂の打敷を寄進しており、
二十五回忌も彼が法事を行ったようで、
この事から就固の実弟益田就貫か、
就固の実子益田就実と思われますが、
※就貫の子益田就高は3代当主。
2人共当主となっていませんので、
当てはまる人物が他にいません。
※山口市教育委員会に問い合わせたところ、
就実の墓であるとのことです。
ちなみに失明したという若殿は、
初代藩主毛利秀就の子なのでしょうけど、
これも誰の事がよくわかりません。
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