奥平家は大組士101石の家柄で、
奥平謙輔は当主奥平清兵衛の五男でした。
「奥平家墓所」。
偶数代藩主墓所である大照院の一般墓地。
奥平家の墓所はその中心辺りにあります。
「弘毅齊源居正墓」。
奥平謙輔の墓。
藩校明倫館に学んだ謙輔は、
学を好み詩賦に長けた若者だったようで、
先鋒隊に所属して下関攘夷戦で戦い、
慶応2年には干城隊に入隊し、
幕長戦争を戦っています。
戊辰戦争では北越戦争に参加しており、
戦後は越後府権判事に就任しますが、
新政府の方針に反対して辞職。
萩に帰って攘夷論を説きました。
やがて徴兵制に反対する立場から、
新政府と対立して下野した前原一誠と共に、
県庁襲撃を計画しています。
しかしこの動きが事前に察知された為、
地扱所を占拠し兵糧を確保。
山陰道を東上して天皇への直訴を計画し、
海路浜田に向かっていますが、
悪天候で辿り着けずに江崎に着きました。
そこで同志の萩占拠の虚報を受け、
萩に引き返していますが、
そこで待ち構える政府軍と市街戦を開始。
劣勢の反乱軍はおとりを務め、
前原、奥平ら幹部を脱出させており、
その後に鎮圧されました。
奥平ら幹部は海路東上しますが、
寄港した宇龍港で捕縛。
萩に送られて弁明なきまま斬首されます。
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