染井霊園にある小野藩一柳家の墓所。
「一柳家墓所」。
こちらにある墓所は11代以降の墓所。
一柳家の大名家は西条藩一柳家(宗家)、
小野藩一柳家、小松藩一柳家と、
江戸時代初期には三家ありましたが、
宗家の西条藩一柳家は減封されて、
5000石の旗本となっています。
小野藩一柳家は一柳直盛の次男の系譜で、
初代一柳直家は父の急死により、
遺領のうち2万3600石を相続し、
分与されていた5000石と合わせ、
2万8600石の大名となりました。
しかし2代一柳直次が家督を相続する際、
末期養子だった事を咎められ、
伊予国と播磨国にあった所領のうち、
伊予国の1万8600石を没収。
播磨国小野に藩庁を置いています。
「従二位勛三等子爵一柳末徳之墓(左)」、
「一柳榮子之墓(右)」。
小野藩11藩主一柳末徳の墓と、
正室一柳栄子の墓。
綾部藩9代九鬼隆都の五男に生まれ、
10代一柳末彦の養嗣子となって、
文久3年に養父の隠居で家督を相続。
鳥羽伏見の戦いの際には、
旧幕府軍に従い大坂の守備に就き、
勝敗が決した後に恭順しました。
戊辰戦争では藩兵57名を派遣し、
北越方面で戦っています。
明治4年に上京して慶應義塾に入学。
明治12年には東京府芝区会議長となり、
明治23年に貴族院子爵議員に選出され、
これを4期程務めました。
大正11年に73歳で死去。
「正五位一柳剛之墓」。
11代藩主末徳の三男一柳剛の墓。
末徳の長男の一柳譲二は分家を興し、
二男の恵三は広岡家の婿養子となった為、
三男の剛が継嗣となっていましたが、
家督を相続前に病死してしまい、
剛の長男一柳末幸が家督を継いでいます。
墓所は1種ロ8号10側。
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