江戸風俗研究家で、
漫画家の杉浦日向子原作の合葬。
漫画をちょっと前に読んでいたので、
※記事はこちら。
原作の内容は覚えていました。
見終わって感じたのは不親切だなと。
瀬戸康史扮する吉森柾之助は、
無理やり仇討ちを迫られて出奔するのですが、
その過程の説明がイマイチ。
饅頭をいやらしく食べる義母らの様子で、
遠回しに説明していましたが、
わかり辛いなと感じました。
柾之助は物事に流されるような性格で、
うやむやに彰義隊に入隊するのですが、
そんなに違和感なく演じている様子。
問題は柳楽優弥演じる秋津極。
原作ではクールなイメージでしたが、
映画ではなんとも無骨な雰囲気。
その他大勢と変わらない青年でした。
柳楽優弥は悪い俳優ではないのですが、
ちょっと濃すぎですね。
もっと醤油顔の俳優さんの方が良かったかな?
抽象的な描写を多用していて、
重要な部分を入れ忘れている感がいなめない。
冒頭の[何かが腐っている]とか、
花魁のイザコザとか、
湯呑の中で戦う剣士とか、
それ必要?と首を傾げました。
またそこを変えたらダメってとこを、
変えてしまってるので、
趣旨が違ってしまっている。
原作では福原悌二郎は彰義隊には否定的で、
最後に彰義隊を訪ねた時が、
官軍の総攻撃の日だった為に、
逃げ遅れてしまいます。
映画でも逃げ遅れたのは一緒なのですが、
何故か覚悟を決めて戦う決意をしてしまう。
極と柾之助を死なせないというのが、
その理由らしいのですが、
なんともクサい友情演出・・・。
結局、原作同様死んじゃうのですが、
これでは意味が違ってしまいます。
原作は[長崎より]という前日譚がありますが、
読者は後に起こる悲劇を既に知っており、
あえて最後に平和な日常を描くことにより、
悲しみを再び掘り起こす効果がありました。
悌二郎が映画で戦う決心をしてしまっては、
その死が自業自得となり、
その死が不条理でなくなってしまう。
悌二郎の死は物語の最重要な部分なだけに、
それを変更してしまったことは残念です。
原作でもあっけなく死にますが、
そのあっけなさが悲しみを誘いました。
また原作は青年達の悩みや戸惑いを、
全て飲み込む不条理さがありましたが、
映画では総攻撃の描写は端折られて、
すぐに逃げるシーンにいっちゃいました。
これではメリハリがなくなってしまいます。
※戦闘シーンはお金掛かるのでしょうが・・
ラストも柾之助の行き倒れシーンではなく、
極が砂世に会いに行っていたという話。
砂世の懺悔が語られるのですが、
悌二郎が戦う決意をしてしまったことで、
その懺悔は悲しみを誘えませんでした。
どうも原作と監督の訴えたい事に、
大きな相違があるような・・。
そんな感覚が感じられました。
■関連記事■
・「合葬」杉浦日向子
映画の原作。
・「彰義隊」吉村昭
戦争に翻弄された寛永寺の山主の話。
・東京都台東区 上野恩賜公園
上野戦争の舞台。