寺田屋騒動の犠牲者森山永治の墓。
彼は森山新五左衛門として知られます。
「森山永治墓」。
薩摩藩士森山新五左衛門永治の墓。
元々は町人だったようですが、
父の森山新蔵が私材を用いて橋を架けたり、
藩の借金を帳消しにした功績が認められて、
士籍を与えられて藩士となっています。
父は尊攘派藩士を資金面で支え、
新五左衛門は父と共に精忠組に参加。
文久2年に同志らと京都へ赴き、
有馬新七ら過激派と要人襲撃を企てますが、
これを察知した薩摩藩国父島津久光は、
鎮撫使を会合場所の寺田屋に派遣。
押し問答の末に乱闘に発展しました。
新五左衛門は2階にいたようですが、
厠へ行く為に1階に下りた際、
丁度斬り合いが発生したようで、
鎮撫使に刀で斬り付けられています。
※2階に刀は置いていたようで、
持っていた短刀で戦ったという。
乱闘は直ぐに収まりましたが、
鎮撫使側で道島五郎兵衛1名が死亡。
過激派側は有馬新七、柴山愛次郎、
橋口壮介、西田直五郎、弟子丸龍助、
橋口伝蔵の6名が殺害されており、
新五左衛門と田中謙助も重傷を負い、
翌日に2人は切腹させられました。
「森峰軒寶山良遊居士」。
新五左衛門の父森山新蔵永賀の墓。
精忠組に新五左衛門と共に参加しており、
資金面で彼らを支えたという。
文久2年の島津久光の上洛の際には、
兵糧の買い付けを命じられており、
その一行に加わっていますが、
命令違反を犯した西郷隆盛に連座し、
強制的に薩摩に戻されています。
息子の死は山川湊で知らされたようで、
これを嘆いて船中で自刃。
見事に死んだ息子の後を追いました。
■関連記事■
・京都府京都市 寺田屋
薩摩藩の伏見の定宿であった寺田屋。
・京都府京都市 大黒寺
寺田屋騒動の犠牲者が葬られた寺院。
・鹿児島県日置市 有馬新七墓所
寺田屋騒動の犠牲者有馬新七の墓所。
