鹿児島県鹿児島市 南林寺由緒墓/山口直秀墓

以前[南林寺由緒墓]を訪問した際に、
そこにあるそれぞれの墓碑を撮影しており、
ちょっとずつそれぞれを調べて、
少しずつUPしようと思っています。

今回は寺田屋騒動関連の墓を紹介。

山口鐵之助直秀墓」。
薩摩藩士山口鐵之助直秀の墓。
精忠組に所属した尊攘派の藩士でしたが、
有馬新七過激派の暴発を阻止する為、
文久2年4月23日に島津久光の命により、
大山格之助鈴木勇右衛門上床源助と共に、
竹田街道から寺田屋に向かいました。
寺田屋に到着すると奈良原喜八郎ら別動隊が、
※奈良原、道島五郎兵衛森岡善助
 江夏仲左衛門伏見街道から寺田屋に入る。

既に過激派と押し問答しており、
やがて斬り合いに発展して山口らも参戦し、
山口は柴山愛次郎を殺害しています。
翌文久3年の薩英戦争においては、
西瓜売り決死隊に選出する等、
常に実行部隊の精鋭として参加されており、
剣の達人として見込まれていたようです。
戊辰戦争では小銃第十隊小隊長に任じられ、
北越戦線に出征していますが、
慶応4年6月14日の大黒村の戦いで戦死し、
遺骸は船岡山官軍墓地に埋葬されました。
この墓は遺髪墓のようです。

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 薩摩藩の伏見の定宿であった寺田屋。
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 寺田屋騒動の犠牲者が葬られた寺院。
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 寺田屋騒動の犠牲者有馬新七の墓所。






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