柳町遊郭は博多にあった福岡藩公認の遊郭。
慶長期に黒田長政が福岡城築城の際に、
石堂川(現御笠川)沿いに妓楼を集め、
成立させた遊郭でした。
当初は藩士の遊所通いが禁止され、
違反すると厳しい処罰があったようですが、
いつの間にか藩士も通うようになっています。
寛文8年(1668)に火災が発生したことにより、
夜間営業が禁止されたようで、
元文2年(1737)に解禁されるまでは、
昼間だけの営業だったとのこと。
明治42年に九州帝国大学工科大学設立に伴い、
柳町遊郭は移転されることとなり、
現在の清川町に新柳町遊郭として移転。
昭和32年の売春防止法の施行まで続きました。
「旧柳町遊郭跡」。
移転に伴い完全に遊郭らしさは消えており、
その遺構は全くありません。
柳町には三名娼と呼ばれる三人遊女が居て、
非常に人気であったという。
彼女らの名は小女郎、明月、染衣と云い、
それぞれ逸話を持っていますが、
中でも明月が人気だったようです。
現在は湾岸整備で埋め立てが進み、
博多の外れという印象はありませんが、
往時の地図を見ればイメージ出来ます。
中央付近が柳町(博多近隣図一部)。
同じく中央付近が柳町(福博錦絵一部)。
周囲は堀で囲まれていたようで、
遊女や武士の出入りが制限され、
厳しい取り締まりが行われたようです。
上の博多近隣図は文化9年(1812)のもので、
なんとなくそんな感じではありますが、
下の福博錦絵は明治20年のもので、
堀などは無くなっている模様。
面影が完全に無くなってしまっている為、
高杉晋作が入ったという梅ヶ枝屋や、
名娼が在籍した薩摩屋等の場所は不明。
この小さな区画にそれらがあった事は、
現地の雰囲気からは想像出来ません。
もちろんその為の移転なのでしょうけど。
●著名な遊郭跡
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三大遊郭のひとつ。
