高野山奥の院墓地/加藤貞泰墓所

奥の院墓地にある加藤貞泰の墓所。
貞泰の父加藤光泰文禄の役の陣中に病没。
光泰の領した甲斐国内24万石は、
14歳の嫡子貞泰が相続しましたが、
若年を理由に黒野4万石に減封されました。


英叟雄公大居士(五輪塔)」。
大洲藩初代藩主加藤貞泰の墓。
隣の墓碑には大姉と童子の文字があり、
貞泰に所縁ある母子の墓と思われます。
光泰の陣中死には石田三成の毒殺説もあり、
関ケ原の戦いでは犬山城を守備しますが、
弟の加藤光直人質として江戸に送り、
東軍方として犬山城に籠城。
本隊と合流して大垣城包囲、本戦を戦い、
徳川家康に所領を安堵されました。
慶長15年(1610)に米子藩6万石に加増され、
元和3年(1617)には大洲藩に移封となり、
以後は大洲藩主家として続いています。

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和歌山県伊都郡 高野山奥の院墓地
 弘法大師の御廟参道にある巨大な墓地。

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