奥の院墓地にある壬生藩鳥居家の墓所。
鳥居元忠は今川人質時代から徳川家康に仕え、
家康が最も信頼する家臣のひとり。
関ケ原の前哨戦伏見城の戦いにおいて、
寡兵で籠城戦を戦って13日間耐え続けますが、
遂には討ち取られてしまいます。
玉砕を覚悟して主家を勝利に導いた行為は、
後世に「三河武士の鑑」と称されており、
後に鳥居家は2度も改易の危機を迎えますが、
何れも「元忠の勲功」を鑑みられて、
減封処分のみで許されました。
左から
「本光院殿従五位下前典膳覚林宗知大居士」、
「孝徳寺殿従四位前京兆鐵山玄心大居士」、
「龍見院殿岳宗慶大禅定門」、
「俊嶽院殿四品峯山玉雄大居士」、
「松月院殿殿頂譽江山大禪定尼」。
3代当主(高遠初代)鳥居忠春の墓、
2代当主(山形2代)鳥居忠恒の墓、
家祖鳥居元忠の墓、
初代当主(山形初代)鳥居忠政の墓、
初代忠政の六女松月院の墓。
元忠の跡を継いだ次男忠政は、
父の戦功により磐城平藩10万石を拝領。
元和8年(1622)に最上家が改易された為、
山形藩22万石に加増転封されます。
忠恒は忠政の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
生来病弱で嗣子にも恵まれませんでしたが、
異母弟の忠春を養子に指名せず、
※義母(忠政継室)の内藤氏と不仲であった為。
既に他家に養子に出た同母弟に、
鳥居家の家督を譲るという遺言をした為、
これが幕府の禁に触れる行為とされます。
本来なら改易処分となるところでしたが、
「元忠の勲功」を考慮して減免され、
高遠藩3万石に減移封のうえで忠春が相続。
忠春は始め善政を行っていますが、
次第に悪政を敷いて暴君に変貌しました。
農民の苦しい現状を知った侍医松谷寿覚は、
大坂城の宿舎で忠春を殺害。
鳥居家の咎めはありませんでしたが、
跡を継いだ4代鳥居忠則は暗君で、
商人に借金しては踏み倒す行為を繰り返し、
困った商人らは幕府に訴えられています。
更に藩士らの統率も出来でおらず、
馬場先門守衛を務めていた藩士が、
持ち場を離れて旗本の長屋を覗いており、
これが発覚した為に家中不取締であると、
忠則は閉門を命じられました。
その閉門中に忠則は急死してしまいますが、
鳥居家の悪政の評判や家臣の統制不足で、
継嗣鳥居忠英への家督相続は認められず、
所領は没収されて改易処分となります。
しかしまたも「元忠の勲功」が考慮され、
新たに1万石が忠英に与えられ、
鳥居家は再び先祖に救われました。
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