譜代藩の墓所は東京にあることが多い。
理由は色々とあるのですが、
転封が多いからという理由もあります。
所領に造って飛ばされたら大変ですし、
参勤交代で治世の半分は江戸にいるわけで、
それなら江戸にある方非常に合理的です。
勿論国許に墓所があるケースもあり、、
江戸、国許の両方にある場合もあります。
定府大名は江戸から動かないですし、
藩主は江戸で死去するケースが多く、
実際に遺骸が埋葬されている墓は、
江戸という場合はかなり多いようですね。
さて、今回訪問した泉藩本多家も同様で、
歴代藩主の墓所は墨田区の弘福寺ですが。
最後の藩主7代本多忠伸の墓所だけは、
所領であった泉町にあります。
泉小学校周辺(本多家墓所の場所)
「史跡 泉藩主本多家墓所入口」。
陣屋跡から川を渡って西に進み、
泉小学校の東側にあります。
「泉藩主本多家墓所」。
意外にこじんまりとした墓地で、
大名墓所と聞かないとわからないでしょう。
他に忠伸の妻や子などの墓がありました。
「従三位本多忠伸墓」。
泉藩7代藩主本多忠伸の墓。
3代藩主本多忠誠の子本多忠行の長男で、
6代藩主本多忠紀の婿養子となりました。
泉藩が奥羽越列藩同盟に参加した為、
新政府によって忠紀は強制隠居処分となり、
家督を継いで7代藩主となりました。
その後に版籍奉還で泉藩知事となり、
明治4年の廃藩置県で免職。
その後は東京に移住していたはずですが、
晩年は泉で暮らしたようです。
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