吉武地区コミュニティセンターの手前に、
早川勇の顕彰碑(銅像)があります。
「維新之志士 早川勇顕彰碑」。
早川は遠賀郡の農家に生まれ、
月形洗蔵の叔父である月形春耕に学び、
福岡藩医板垣養永に医学を、
洗蔵の父月形深蔵に儒学を学びました。
江戸で佐藤一斉や藤森弘庵、
大橋訥庵に学んでいたようで、
帰郷後は村医者となっていましたが、
月形洗蔵や中村円太らと共に、
藩内で尊皇攘夷運動に参加。
薩長への周旋活動を行い、
薩長同盟の締結に貢献しています。
尊攘派壊滅の原因となった乙丑の獄では、
藩士ではなかった為に斬首は免れますが、
幽閉されて活躍の場を失っていました。
維新後に許されて奈良府判事などを勤め、
最終的に元老院大書記官を務めています。
乙丑の獄によって尊攘派が壊滅した為に、
当時の事が殆ど知られていませんでした。
しかし奇跡的に早川が存命した為、
月形や中村ら筑前勤王党の活躍が語られ、
薩長同盟に関わった事が伝えられます。
※西郷と高杉の会談も語っています。
生き残りである早川のおかげで、
志半ばで壊滅した筑前勤王党の努力が、
多少なり後世に伝えられました。
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