下関市赤間町 末廣稲荷神社

かつて赤間町にあった稲荷町・裏町遊郭は、
下関最大の遊郭にして日本最古の遊郭。
高杉晋作坂本龍馬らが通ったこの遊郭は、
壇ノ浦の戦い平家が滅んだ後、
残された女官達が生業がとした事が起源。
宮中大奥の高級女官を
上臈(じょうろう)」と云いますが、
これが「女郎(じょろう)」の語源とされ、
上方遊女の最高位「太夫」に対し、
西国遊女の最高位は「上臈」でした。

そしてこの稲荷町・裏町遊郭には、
晋作や久坂玄瑞伊藤俊輔井上聞多
中岡慎太郎など多くの志士達が通った他、
晋作の愛人うの(谷梅処)も、
裏町の「堺屋」の芸妓でしたし、
伊藤博文夫人梅子も置屋「いろは」の芸妓。

現在は稲荷町・裏町遊郭はありません。
界隈は全て空襲で焼け落ちてしまい、
面影さえ見つけるのが難しくなっています。


明治末年ごろの稲荷町。

そんな稲荷町・裏町遊郭跡に、
唯一残されているのが末廣稲荷神社
稲荷町の稲荷はこの神社に由来します。
もちろんここも空襲で焼けてしまい、
社殿は建て直されていますが、
石垣や石段は当時のものだという。


東京第一ホテル下関の裏手に、
ひっそりと末廣稲荷神社はあります。


当時の写真。
結構大規模な神社だったようですね。


末廣稲荷神社」。
階段の上にある真新しい社殿。
当時の写真と全く規模が違いますが、
再建された事が重要です。


近くの家の石垣には玉垣がありました。
ここも境内だったんでしょう。

基本的に遊郭のようなアングラな場所は、
保存するという概念はないと思います。
とはいえこの遊郭で幕末の志士たちが集い、
攘夷戦奇兵隊薩長同盟などについて、
熱く語り合っていた事は間違いないでしょう。

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