長崎街道の本道(塚崎道)と塩田道が合流し、
嬉野湯宿へ続く嬉野追分(下宿追分とも)。
嬉野町下宿周辺。
緑の線が本道で青い線が塩田道。
その合流点が嬉野追分。
「嬉野追分」。
嬉野湯宿側より撮影。
左が本道で右が塩田道です。… 続きを読む
佐賀県嬉野市 嬉野追分
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長崎街道の本道(塚崎道)と塩田道が合流し、
嬉野湯宿へ続く嬉野追分(下宿追分とも)。
嬉野町下宿周辺。
緑の線が本道で青い線が塩田道。
その合流点が嬉野追分。
「嬉野追分」。
嬉野湯宿側より撮影。
左が本道で右が塩田道です。… 続きを読む
陽興寺は白石町湯崎にある曹洞宗寺院で、
天正期(1573-1591)に龍造寺信周が創建し、
※龍造寺隆信の弟。
須古龍造寺家の菩提寺としていました。
「陽興寺」。
本堂は昭和6年の再建。
かつて須古を領していた平井経治が、… 続きを読む
俵坂は佐賀藩と大村藩の藩境にあり、
佐賀藩側に俵坂口番所が設置され、
佐賀藩の支藩蓮池藩が管理していました。
「俵坂集落」。
俵坂口番所跡は俵坂集落にあります。
集落は何となく当時の雰囲気が残り、
良い感じに鄙びている様子。… 続きを読む
大雲寺は龍泰寺末寺の曹洞宗寺院。
宝永6年(1709)3代当主村田政辰が、
※当時は村田政種と称していた。
龍造寺政家の菩薩を弔う為に創建し、
龍泰寺14世治節和尚を迎え開山。
以後は村田家当主の菩提寺となりました。
「本堂… 続きを読む
久保田宿は長崎街道の間宿。
戦国時代に物資の取引が行われた場所で、
正式な宿場ではありませんが、
そのまま商業地として続いていたようです。
佐賀市久保田町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが久保田宿跡。
藩政時代は御親類村田家領でした。
「久保田宿跡」。
現在の国道207号が長崎街道で、
現在は道幅が広くなっていますが、… 続きを読む
牛津宿は長崎街道の13番目の宿場。
米や物資が牛津川の水運で集められ、
水運業者、荷受問屋、卸問屋等が軒を連ね、
西の浪花と称された程栄えていたという。
小城市牛津周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが牛津宿跡。
西側より散策。
「野田家跡… 続きを読む
多久家4代多久茂文は領内で教育を振興し、
椎原山山麓に郷校東原庠舎を開設。
後に孔子を祀る聖廟を創建されており、
これが多久聖廟として現存しています。
「孔子の里 多久聖廟」。
郷校東原庠舎の跡地が整備され、
孔子の里 … 続きを読む