①/②
高傳寺は龍造寺家家臣鍋島清房が創建し、
鍋島家の菩提寺となった曹洞宗の寺院。
「本堂」。
本堂は明治34年再建とのことで、
それ程古いものではありませんが、
かなり大きなものです。
ここには日本最大という大涅槃図があり、… 続きを読む
玉毫寺は小城藩3代鍋島元武の菩提寺で、
その死後に創建された黄檗宗の寺院ですが、
開山は本人の元武となっています。
元武は2代鍋島直能の次男として生まれ、
嗣子に指名されていましたが、
17歳で疱瘡を患って顔にあばたが残り、
人前に出るのを恥じるようになりました。… 続きを読む
近松寺は鎌倉時代の創建とされ、
戦国時代に波多守親が再興していましたが、
兵火で伽羅を焼かれた後に、
唐津に入封した寺沢広高が再び再興し、
寺沢家の菩提寺となりました。
しかし次代寺沢堅高が島原の乱の責で自害。
寺沢家は断絶した為に寺運が衰退します。… 続きを読む
宗眼寺は蓮池藩鍋島家の菩提寺。
詳しい創建時期はわかりませんが、
蓮池藩初代鍋島直澄の開基のようです。
「宗眼寺」。
はじめ雨降山潜龍寺と称していましたが、
直澄が死去して葬られる際に、
正覚山宗眼寺と改称されたようです。
「蓮池藩鍋島家墓所… 続きを読む
9代武雄鍋島家当主鍋島茂義は、
嘉永4年に隠居屋敷を造設しており、
そこに造園された庭園が残されています。
「鍋島藩武雄領主の庭園」。
明治元年に本拠の武雄陣屋が火災で焼失。
※武雄陣屋跡は現在の武雄高等学校の敷地。
10代鍋島茂昌… 続きを読む
古くからの武雄領主であった後藤家は、
龍造寺隆信の勢力拡大により、
その支配下となっていました。
後に隆信が沖田畷の戦いで討ち取られ、
次代龍造寺政家より竜造寺姓を賜りますが、
竜造寺家は鍋島直茂が実権を掌握。
鍋島家と龍造寺一門との融和政策が行われ、
武雄竜造寺家も鍋島姓を賜り、
以後は… 続きを読む
九州の十字路される九州自動車道鳥栖IC。
北は福岡、南は熊本・鹿児島、
西は佐賀・長崎、東は大分。
鳥栖は重要な交通の要所となっています。… 続きを読む