塚崎宿は長崎街道の宿場町で、
現在の武雄温泉のある辺りにありました。
開湯は神功皇后の西征凱旋の際とされ、
皇后が太刀の柄で岩を一突きしたところ、
湯が湧き出たという伝説があり、
この事から柄崎、塚崎と呼ばれたという。
武雄もこの地の古い地名でしたが、
塚崎より狭い地域さしていた為、… 続きを読む
佐賀県武雄市 塚崎宿跡
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塚崎宿は長崎街道の宿場町で、
現在の武雄温泉のある辺りにありました。
開湯は神功皇后の西征凱旋の際とされ、
皇后が太刀の柄で岩を一突きしたところ、
湯が湧き出たという伝説があり、
この事から柄崎、塚崎と呼ばれたという。
武雄もこの地の古い地名でしたが、
塚崎より狭い地域さしていた為、… 続きを読む
嬉野湯宿は長崎街道の宿場町で、
温泉場としても栄えていました。
その歴史は古く神功皇后の西征にまで遡り、
西征の帰途に皇后が傷ついた白鶴を見付け、
その鶴が河原に舞い降りて湯浴みをすると、
再び元気になって去っていったのを見て、
皇后は[あな、うれしや]と感歎。
これ嬉野の地名の語源となったようで、
以後は… 続きを読む
轟木宿は長崎街道の佐賀藩領東端の宿場町。
対馬藩領と轟木川を境にして分かれており、
140軒程で宿屋や茶屋が多かったという。
鳥栖市轟木町周辺。緑の線が長崎街道。
青でぼかした辺りが轟木宿跡。
東側より散策。
「境橋」。
轟木川に架かる橋で渡ると佐賀藩領。
現在はRC製… 続きを読む
高傳寺には龍造寺家、鍋島家墓所の他、
佐賀七賢人のひとり副島種臣と、
その兄の枝吉神陽の墓があります。
「枝吉家墓所」。
枝吉家は代々槍術師範を務める家柄で、
足軽頭の身分であったとされますが、
2人の父枝吉南濠… 続きを読む