福岡宿は奥州街道の97番目の宿場町。
元々は二戸と呼ばれていましたが、
九戸政実の乱後に福岡と改称されました。
九戸城跡周辺。緑の線が奥州街道で、
ピンク線が九戸村に続く白鳥道。
青でぼかした辺りが宿場だった場所。
南から浪打峠を越えて北上し、
久府坂を下ったT字路から、
福岡宿に入ります。… 続きを読む
「[東北地方]」カテゴリーアーカイブ
岩手県二戸郡 一戸宿跡
一戸宿は奥州街道の96番目の宿場町。
中世には南部氏一族の一戸氏が拠点とし、
一戸城も築城されていましたが、
戦国時代末期に廃城となっています。
江戸時代には宿場が置かれており、
南側の沼宮内宿には峠が控えていた為、
旅人の宿泊が多かったという。
一戸本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
南側より一戸宿跡へ。… 続きを読む
青森県十和田市 藤島宿跡
藤島宿は奥州街道の103番目の宿場町。
奥入瀬川の南側が宿場だった場所で、
橋は架けられなかった為に、
川瀬には船場が設けられていたようで、
繰舟で通行が行われていました。
※両岸に綱を張って繰り寄せていた舟。
十和田市藤島周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「藤島宿跡」。
県道145号戸来十和田線が街道筋で、
宿場の面影は殆ど見られません。
旅館だったであろう建物もありますが、… 続きを読む
青森県三戸郡 五戸代官所跡
再興を許された会津松平家は、
元盛岡藩領の五戸代官所を仮藩庁とし、
多くの元会津藩士がやって来たようです。
「五戸代官所」。
歴史みらいパークに再建された代官所建屋。
文久年間の図面で再建されたものですが、
表門は現存のもので五戸町指定文化財。
木村家が代々代官を務めていました。
戊辰戦争… 続きを読む
青森県十和田市 伝法寺宿跡
伝法寺宿は日宮家の伝法寺館があった場所。
後に館は南部家譜代家臣津村家に譲られ、
津村家の居館となっていましたが、
江戸時代に伝法寺館は廃棄となります。
伝法寺宿はその伝法寺館の元城下町で、
館の廃棄後に奥州街道の宿場となりました。
十和田市伝法寺周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場だった場所。… 続きを読む
青森県三戸郡 五戸宿跡
五戸宿は奥州街道の101番目の宿場町で、
古くから周辺の中心地であったとされます。
盛岡藩の代官所が置かれ、
五戸通の三戸郡13村、上北郡15村の、
計1万4000石を統括していたという。
※盛岡藩では行政区域を[通]と呼び、
それぞれの通に代官所が置かれた。
五戸町市街周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「五戸宿跡… 続きを読む
青森県三戸郡 南部利直墓所他
南部利直は南部家26代南部信直の長男で、
父の死去に伴い家督を相続しましたが、
その翌年に関ケ原の戦いが発生した為、
慶長出羽合戦に東軍として参加。
これにより10万石を安堵されました。
領内に金が産出した事で財源に恵まれ、
藩庁を三戸から盛岡に移し、
盛岡城… 続きを読む