南部利直は南部家26代南部信直の長男で、
父の死去に伴い家督を相続しましたが、
その翌年に関ケ原の戦いが発生した為、
慶長出羽合戦に東軍として参加。
これにより10万石を安堵されました。
領内に金が産出した事で財源に恵まれ、
藩庁を三戸から盛岡に移し、
盛岡城の築城を開始して城下町を形成。
藩政の基礎を確立させています。
「三光寺」。
三戸郡南部町にある臨済宗の寺院。
2代当主南部実光が創建し、
三光国師(孤峰覚明)が招かれ開山しました。
南部家の拠点が盛岡に移された際、
隣接していた菩提寺の聖寿寺も移転した為、
この三光寺(当時は三光庵)が残り、
霊廟や家宝等を守ることになったという。
本堂の裏手に利直の霊屋があるのですが、
檀家以外は完全に立入禁止との事。
一般公開してて色々あったようです。
史跡聖寿寺館跡案内所のパンフより。
このような霊屋が建っているとのこと。
上記の案内所で拝観料300円を支払うと、
利直の四男南部利康の霊屋が拝観できます。
南部利康霊屋の覆堂。
職員の方の案内でこの中が拝観できます。
・・が撮影は禁止。
こちらもパンフより。
絢爛豪華な桃山様式の霊屋。
金箔と黒漆、四季の草花や人物画の他、
意匠に猿が用いられているのが特徴。
盛岡藩の財政が豊かな時期とはいえ、
これ程の豪華な霊屋を建てた事が、
創建した父利直の悲しみを物語っています。
利康は利直の四男として生まれ、
浅水城城主南直義の家督を相続しますが、
三戸城二ノ丸の屋敷に常住し、
利直が参勤交代で留守の間は政務を代行。
大きな期待をかけられていたようですが、
24歳で病死してしまいます。
利直はその死を悼み三戸郷1年分の収益で、
豪華な霊屋を創建しました。
敷地内には2代南部実光の墓もあります。
「南部実光の墓」。
初代南部光行の次男として生まれ、
承久の乱で北条泰時の軍に参陣したとされ、
執権北条家に取り入ったという。
時流を読むのに長けた人物とされます。
実光の墓から微かに利直の霊屋が見えます。
パンフと同じ屋根なので間違ありません。
最後に本三戸八幡宮へ。
23代南部安信の墓があります。
「廿三代太守左馬允安信公」。
22代南部政康の長男として生まれ、
家督を相続すると勢力の拡大を目指し、
弟らと共に領内の体制強化を推進。
南部家発展の布石を残したとされます。
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