[東北地方]」カテゴリーアーカイブ

宮城県刈田郡 仙台真田氏ゆかりの郷

片倉家で養われた真田信繁の次男大八は、
真田四郎兵衛を名乗り藩士となりますが、
正体を隠すために片倉守信と改めています。
家格は永代召出二番座、蔵米三十貫文で、
後に蔵米支給から知行地に直されました。

知行地は矢附村、… 続きを読む

宮城県白石市 片倉家墓所

片倉小十郎家伊達政宗に仕えた家で、
初代小十郎景綱がその名を轟かせました。
家格は[一門]に次ぐ[一家]でしたが、
家臣で唯一支城を拝領しています。

白石家の墓所は市街西側の愛宕山にあり、
一般の墓地を越えた奥にあります。

「… 続きを読む

宮城県白石市 白石城

一国一城令大坂夏の陣の後、
慶長20年閏6月13日に制定され、
諸大名に居城以外の城の破却を命じたもの。
各大名は領地の要所に支城を建設し、
敵の侵攻を防ぐ要塞としていましたが、
これにより諸大名の軍事力は下がります。

この一国一城令の[一国]の意味は曖昧で、
一国が令制国なのか、大名の領地なのか、
場合によって解釈が異なっていました。… 続きを読む

宮城県仙台市 三瀧山不動院/仙台四郎の寺

日本は神の国です。
日本のというのは欧米のGODではなく、
SpiritElementalに近いもので、
いわゆる唯一神ではない。
日本には八百万の神がいると云われるなど、
自然界全てに神が宿っており、… 続きを読む

青森県東津軽郡 吉田松陰東北遊日記碑

嘉永5年3月5日夜。
袰月で宿を取った吉田松陰宮部鼎蔵
宿で津軽海峡とそこを通る外国船について、
日記に記しています。

その日記の一文を刻んだ碑が、
鋳釜崎に建てられています。


袰月海岸 鋳釜崎」。… 続きを読む

青森県東津軽郡 松陰くぐり

松陰くぐりは以前より知ってはいましたが、
なぜ吉田松陰はそんなところへ行ったのか、
とても不思議でした。
浅いとはいえ下は海に浸かっているし、
裸足にならないと濡れてしまいます。
松陰がくぐったのは3月の事のようで、
冬の冷たい海に浸かるのは、
物好きとしか考えられませんでした。

・・・が、色々と調べると謎が判明。
要はちゃんとした道が無かったからです。
人が住んでいましたが交通手段は舟。
歩くには海岸線を通るより道は無く、
海岸沿いを通ると必然的に、
この洞門をくぐらなければなりません。


「… 続きを読む

青森県北津軽郡 みちのく松陰道

嘉永5年3月5日。
吉田松陰宮部鼎蔵小泊から、
算用師峠を越え三厩に向かいました。
小泊から海岸線を北上した2人は、
途中から山道へ入って竜飛岬までは行かず、
まさかのショートカット。
高波で海岸線を進めなかったのかな?


みちのく松陰道入口」。… 続きを読む