今和泉島津家は薩摩島津家の支流で、
宗家4代島津忠宗の次男島津忠氏が、
和泉(出水)郷を与えられ、
和泉島津家を称したのに始まります。
しかし5代当主島津直久が戦死した為、
327年の間当主が不在となりますが、
これを江戸時代になって復活させて、… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
福岡県北九州市 宗玄寺/小笠原家老家墓所
小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
秀政の死後に宗玄寺に改めています。
小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の… 続きを読む
下関市南部町 下関電信局(電報)発祥の地
南部町のNTT西日本の脇道に建つ碑。
「電報中継機械化完成」碑。
昭和41年(1966)に下関電報局で、
電報中継業務の機械化が完成し、
国内全ての電報業務機械化を達成。
これを記念して建てられた碑。
説明版では下関電信局(電報)発祥の地とされ、
建てられていた上田中町… 続きを読む
福岡県北九州市 甲宗八幡神社
甲宗八幡神社は門司にある神社で、
宇佐神宮より八幡神を岩清水に分祀する際、
門司関で瑞兆が起こった為、
これを喜んだ清和天皇の勅願により、
八幡神が分祀されて創建。
神功皇后着用の甲冑が奉斎されたという。
壇ノ浦の戦いの際は… 続きを読む
福岡県北九州市 隠蓑安徳天皇御陵
古今東西どこにでも生存説があります。
悲劇的な死を遂げた人物や英雄達が、
どこかで生きていて欲しいとする願望が、
民衆の間で根付く事はよくある話。
源義経がジンギスカンになった説や、
明智光秀が南光坊天海になった説。
真田幸村や西郷隆盛等も生存説があって、… 続きを読む
福岡県北九州市 田野浦
田野浦は古くからの港町。
関門海峡の潮待ちの港として、
北前船の寄港が増加するようになると、
門司をも陵駕する繁栄を魅せたという。
門司区田野浦周辺。
埋め立てで海岸線は変わっており、
往時の集落は陸封されています。
「田野浦港」。
かつての浦は田野浦埠頭で覆われて、
河口のような船溜まりとなっています。… 続きを読む
山口県山陽小野田市 勘場屋敷
山陽小野田市西高泊に勘場屋敷があります。
高泊開作事業の際に建てられた役宅で、
船木代官楊井三之允が起居したという。
勘場は業務を行う場所ですので、
正確には勘場ではなく代官役宅なのですが、
役宅で業務も行っていたのでしょうし、
他に勘場があった形跡はない。
なので勘場兼役宅が正しいのかもです。
「勘場屋敷… 続きを読む