草津宿は東海道の52番目の宿場町で、
東海道と中山道の合流地点でもあり、
大変な賑わいをみせた宿場町でした。
草津宿には2軒の本陣と2軒の脇本陣、
および72軒の旅籠があったとされます。
この他に旅人を迎える… 続きを読む
「[関西地方]」カテゴリーアーカイブ
兵庫県尼崎市 深正院/尼崎藩松平家墓所
三河国桜井を領した桜井松平家は、
宗家5代松平長親の次男松平信定を祖とし、
初代から4代松平忠正まで宗家に反抗し、
完全に従属するのは松平家康に敗れてから。
その後は5~7代まで20歳代で早逝し、
※7代松平忠頼は囲碁の喧嘩の仲裁に入り、
逆上した相手によって刺殺されています。
無嫡となって一時改易されていますが、… 続きを読む
兵庫県宍粟市 大雲寺/山崎藩本多家墓所
山崎藩本多家の菩提寺である大雲寺は、
江戸時代初期に専誉上人が開山した寺院。
郡山新田藩より本多忠英が山崎藩に入封し、
本多家の菩提寺に定められました。
「山門」。
現在の山門は弘化2年再建のもの。
費用は千草屋平瀬家の寄進によって賄われ、… 続きを読む
兵庫県宍粟市 山崎陣屋跡
池田輝政の子で徳川家康の外孫池田輝澄は、
宍粟郡3万8000石を与えられ、
播磨国宍粟郡山崎に城郭を建設。
※後に佐用郡3万石が加増される。
築城と共に城下町が整備されましたが、
些細な争いから御家騒動が発展し、
多くの家臣が脱藩するなど混乱を極め、
輝澄は家中不取締によって改易されました。
代わって松平康映が入りますが、… 続きを読む
兵庫県姫路市 法性寺/安志藩小笠原家墓所
安志藩小笠原家の領内菩提寺は法性寺。
小笠原長興が安志藩に入った際に建立され、
小笠原家の庇護を受けて隆盛しました。
廃藩後は規模を縮小しています。
「法性寺本堂」。
本尊は木造薬師如来座像。
堂内に藩主一族の位牌が安置されており、
老朽化の為にSRC製となっています。
歴代藩主のうち領内で死去したのは、
2代… 続きを読む
兵庫県姫路市 安志陣屋跡
小笠原宗家当主であった小笠原秀政と、
その長男である小笠原忠脩は、
大坂夏の陣の天王寺の戦いで壮絶に戦死。
忠脩の遺児小笠原長次が幼少であった為、
家督は秀政の次男小笠原忠真が相続します。
長次は忠真の許で養育された後、
別家に興されて龍野藩6万石に封ぜられ、… 続きを読む
兵庫県佐用郡 乃井野陣屋跡
18万6000石を誇った津山藩森家は、
5代藩主森衆利の乱心で改易。
後に西江原藩2万石で再興していますが、
※後に赤穂藩へ再転封。
新田を分地されていた一族の森長俊も、
連座して三日月藩へ移されています。
初代藩主森長俊は領地入りすると、… 続きを読む