久坂玄瑞は藩医久坂良迪の三男で、
俊英と知られた久坂玄機の弟でした。
兄玄機は緒方洪庵の適塾で塾頭を務め、
藩の医学校好生館の教授に任じられ、
藩内の種痘実施に大きく貢献しました。
更には海外事情… 続きを読む
山口県萩市 久坂玄瑞誕生地
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久坂玄瑞は藩医久坂良迪の三男で、
俊英と知られた久坂玄機の弟でした。
兄玄機は緒方洪庵の適塾で塾頭を務め、
藩の医学校好生館の教授に任じられ、
藩内の種痘実施に大きく貢献しました。
更には海外事情… 続きを読む
明治9年に前原一誠らは旧士族を招集し、
他所の士族反乱に呼応して挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この計画が事前に察知されていた為、
計画を変更して山陰を東上し、
天皇への直接直訴を計画しました。
海路にて浜田へ向かいますが、
悪天候により国境手前の江崎湊に寄港。
ここで近親者が処罰されていると聞き、… 続きを読む
神代の陣屋町南端に下坊墓地があり、
そこが神代鍋島家の墓所となっています。
「下坊墓地」。
石垣に囲まれた下坊墓地。
大きな自然石の墓石が並んでおり、
神代鍋島家初代及び2代当主の墓と、
その一族の墓所となっています。
「孝岳永忠大禅定門(左)」、
「玉雲妙慶大姉(右)」。
神代鍋島家初代当主… 続きを読む
慶長13年(1608)に佐賀藩肥前神代領は、
鍋島直茂の兄鍋島信房に与えられ、
以降は廃藩置県まで神代鍋島家が、
代々神代領を統治してきました。
その拠点となっていた神代陣屋跡には、
神代鍋島家の邸宅が建てられており、
これを平成16年に当時の… 続きを読む
長崎の農家の倅であった草野丈吉は、
安政6年より出島でボーイを務め、
その働きぶりから軍艦で勤務する事となり、
軍艦での雑用、洗濯係を経て、
料理も覚えて見習いコックとなりました。… 続きを読む