【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ

佐賀県鳥栖市 今町

今町長崎街道沿いにあった家並みで、
周辺は対馬藩飛地領であり、
街道の東側は奈良田村に属し、
西側は柚比村に属していたようです。
この家並みは約30戸程であったとのこと。
道沿いには豆腐屋竹細工屋続きを読む

佐賀県佐賀市 神代勝利墓所

嘉瀬川は古来より灌漑利用された河川で、
江戸時代には佐賀藩治水工事が度々行われ、
筑紫平野穀倉地帯の水利を担いました。
しかし同時に水害も多く発生しており、
現在も根本解決に至っていないという。


嘉瀬川ダム続きを読む

福岡県筑紫野市 三国坂/三国境石

原田宿より田代宿へ向かう際、
最初の難所となっていた三国坂
筑前筑後肥前の三国の境で、
争いの絶えなかった場所でした。
この為に当事者間で協議が行われ、
三国の境には国境石を建立。
長崎街道をゆく人々が、… 続きを読む

福岡県小郡市 横隈宿跡

筑前街道江戸時代前期の参勤道で、
多くの大名がこの街道を通行していました。
後に薩摩街道の整備が行われると、
通行量が減って脇街道へと移行。
メインルートからは外れています。

今回はそんな筑前街道の横隈宿を訪問。

小郡市横隈周辺。緑の線が筑前街道で、… 続きを読む

佐賀県武雄市 北方追分

北方追分長崎街道の本道である塚崎道と、
脇街道である塩田道の分岐点。
かつての長崎街道は塩田道が本道でしたが、
塩田川氾濫で度々通行不能となった為、
これが不便であることから、
塚崎(武雄)に迂回されるようになって、
塚崎道が本道となっていったようです。


北方町大字志久周辺。
緑の線が長崎街道の本道(塚崎道)で、
青い線が脇街道(塩田道)。… 続きを読む

佐賀県杵島郡 白木聖廟

宝永5年(1708)に多久領主4代多久茂文は、
郷校東原庠舎の精神的支柱とする為に、
敷地内に多久聖廟を竣工させます。
それ以前の元禄期(1688-1704)には、
中華より孔子及び四哲像を取り寄せて、
四哲:孔子高弟顔子続きを読む

山口県萩市 久坂玄瑞誕生地

久坂玄瑞は藩医久坂良迪の三男で、
俊英と知られた久坂玄機の弟でした。
兄玄機は緒方洪庵適塾で塾頭を務め、
藩の医学校好生館の教授に任じられ、
藩内の種痘実施に大きく貢献しました。
更には海外事情続きを読む