①/②/③
つづき。
途舁夫ニ問ヘハ、
前夜府中ヨリ差向ケラレタリト云フ、
復前夜来ノ模様ヲ問ヘハ、
別ニ怪シムヘキコトナキモ白木長持ヲ舁キ、
払暁通行セシ者アルヲ見タリト云フ、
若シクハ忠光朝臣ヲ殺害シ遺骸ヲ入レ、
持行タルコトナラン歟ト、
途中で駕籠夫に問えば、
前夜に長府より差し向けられたという。
前夜からの様子を聞けば、
別に怪しむべき事はなかったが、… 続きを読む
恩地トミの口述筆記③
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中山忠光の側女として忠光の逃避行に従い、
忠光の遺児仲子(南加)を出産した恩地トミ。
赤間町で旅籠屋の営む恩地與兵衛の次女で、
礼儀や家事を心得た気立ての良い娘で、
更に評判の器量よしであったという。
そのトミが当時延行村… 続きを読む
廬山寺には慶光天皇の廬山寺陵の他にも、
鎔宮墓(仁孝帝皇子)と、
壽萬宮墓(孝明帝皇女)が宮内庁管轄地ですが、
その他にも多くの皇族の墓があります。
「廬山寺墓地」。
墓地の北側には江戸期の皇族の墓が並び、
他にも… 続きを読む
中山家は羽林家の家格を持つ公卿家。
平安末期の内大臣中山忠親を祖とし、
晩年に忠親が洛東中山に居住した為、
中山家を称すようになったとされます。
初代こそ内大臣まで昇進していますが、
以後の子孫は権大納言止まりとなり、
家格としては羽林家に列しました。
13代… 続きを読む
中山神社境内にある中山忠光の墓所。
中山忠光は北浦での逃避行の後、
田耕にある長瀬の渓谷で殺害され、
綾羅木に運ばれて埋められました。
埋葬地には後に墓碑が建てられ、
その霊を慰める為に中山神社が建立。
現在に至っています。
「藤原忠光卿 神靈」。… 続きを読む
黒井村は川棚温泉南西の集落で、
赤間関街道北浦道筋に沿って市が開かれ、
街道の宿駅となっていたという。
下関市街より県道244号を北上。
平成の大合併前の下関市と豊浦町の旧境に、
八本松峠と… 続きを読む