中津藩」タグアーカイブ

福岡県築上郡 天仲寺跡/三木与右衛門墓所

中津藩の鉄砲掛であった三木与右衛門は、
明治維新の前後に私塾三木塾を開き、
明治5年まで数学を教えていたという。

当時の私塾は漢学儒学国学等が殆どで、
数学を教える塾は非常に稀でした。
その三木与右衛門の墓が… 続きを読む

福岡県築上郡 天仲寺跡/小笠原家墓所

天仲寺天仲寺山にあった禅寺で、
現在は廃寺となって建物は解体され、
跡地は天仲寺山公園となっています。


天仲寺山 案内図」。
天仲寺山は標高28mの小山で、
元々は広津山と呼ばれていました。
中津藩初代藩主小笠原長次は、… 続きを読む

東京都品川区 清光院/中津藩奥平家墓所②

/②
つづき。


興隆院殿悟渓道本大居士」。
中津藩3代藩主(7代当主)奥平昌鹿の墓。
2代藩主奥平昌敦の長男として生まれ、
父の死去に伴い15歳で家督を相続。
訴平賦均録を編纂して藩政改革に尽くし、
蘭学者前野良沢を抜擢して、
蘭学を保護して奨励しました。


「… 続きを読む

大分県中津市 自性寺/奥平昌猷墓所

参勤交代制度があった事や、
隠居後も江戸で生活を送っていた為、
中津藩の藩主の殆どは江戸で死去。
遺骸は品川区の清光院に葬られ、
国許に墓は建てられませんでしたが、
7代藩主奥平昌猷は唯一領内で死亡し、
葬儀が行われて自性寺に葬られました。

自性寺は歴代の菩提寺で臨済宗の寺院。… 続きを読む

大分県中津市 中津宿跡

中津宿中津街道の終点であり、
日田中津往還日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。


中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
ピンクの線が日向街道です。
青でぼかした辺りが宿場跡。


小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、… 続きを読む

耶馬渓と青の洞門

中津を流れる山国川の渓谷である耶馬渓は、
日本三大奇勝と称されており、
日本新三景にも選定された名勝です。
凝灰岩や凝灰角礫岩、
熔岩の侵食によってできた絶景で、
江戸後期までは山国渓と呼ばれていました。
ここを訪れた… 続きを読む