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つづき。
「興隆院殿悟渓道本大居士」。
中津藩3代藩主(7代当主)奥平昌鹿の墓。
2代藩主奥平昌敦の長男として生まれ、
父の死去に伴い15歳で家督を相続。
訴平賦均録を編纂して藩政改革に尽くし、
蘭学者前野良沢を抜擢して、
蘭学を保護して奨励しました。
「… 続きを読む
「中津藩」タグアーカイブ
東京都品川区 清光院/中津藩奥平家墓所①
大分県中津市 自性寺/奥平昌猷墓所
参勤交代制度があった事や、
隠居後も江戸で生活を送っていた為、
中津藩の藩主の殆どは江戸で死去。
遺骸は品川区の清光院に葬られ、
国許に墓は建てられませんでしたが、
7代藩主奥平昌猷は唯一領内で死亡し、
葬儀が行われて自性寺に葬られました。
自性寺は歴代の菩提寺で臨済宗の寺院。… 続きを読む
大分県中津市 中津宿跡
中津宿は中津街道の終点であり、
日田中津往還、日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。
中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
ピンクの線が日向街道です。
青でぼかした辺りが宿場跡。
「小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、… 続きを読む
耶馬渓と青の洞門
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中津を流れる山国川の渓谷である耶馬渓は、
日本三大奇勝と称されており、
日本新三景にも選定された名勝です。
凝灰岩や凝灰角礫岩、
熔岩の侵食によってできた絶景で、
江戸後期までは山国渓と呼ばれていました。
ここを訪れた… 続きを読む