観龍寺は倉敷にある真言宗寺院。
約1000年前より倉敷市西岡で創建し、
当時は宝積寺と称していました。
文禄3年(1594)に現在地の南側に移り、
更に寛永元年(1626)に現在地に移動。
その際に寺名を観龍寺に改めています。
「参道石段」。
観龍寺は倉敷美観地区北の鶴形山にあり、
参道石段の横に… 続きを読む
「倉敷浅尾騒動」タグアーカイブ
岡山県倉敷市 倉敷代官所跡(再訪)
倉敷代官所は天領(幕府領)倉敷村に置かれ、
代官が派遣され周辺直轄領を統治しました。
江戸時代初期に備中松山に代官所が置かれ、
倉敷村は天領の物資集積地となり、
水運で栄えていた場所でしたが、
松山の代官所が廃止されてからは、
倉敷は松山と共に備中松山藩領となります。… 続きを読む
山口県熊毛郡 楢崎剛十郎碑
小方家墓所の近くには、
第二奇兵隊参謀楢崎剛十郎の碑があります。
※小方家とは小方謙九郎の妻艶子の妹が、
剛十郎の妻という縁があった。
「楢崎剛十郎源義綱君碑(右)」、
「山縣有朋歌碑(左)」。
陸軍中尉三好重臣… 続きを読む
山口県光市 立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部立石孫一郎は、
同志約100名を率いて隊を脱走し、
慶応2年4月10日に倉敷代官所を襲撃。
同月13日には浅尾陣屋も襲撃しますが、
幕府の追討軍が派遣されると、
彼らは離散して長州藩領に逃亡しました。
多度津を経て… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/脱走隊士の墓
奇兵隊顕彰墓地にある脱走隊士の墓碑。
慶応2年4月17日。
倉敷浅尾騒動に加わろうと陣営を脱走し、
捕らえられて翌日切腹させられた隊士ら。
「波多野十吉墓(左)」、
「山本龍之進墓(左2)」、
「有田恒太郎墓(右)」。
※右から2番目は不明。
倉敷浅尾騒動は第二奇兵隊脱走隊士らが、
倉敷代官所… 続きを読む
山口県下松市 花岡宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
そこで行われています。
「花岡八幡宮御神幸祭礼図絵馬(部分)」。
花岡宰判は都濃郡の藩領を支配した宰判で、
都濃宰判とも呼ばれています。
上の絵馬のように勘場と御茶屋が併設され、
本陣の役割も果たしていました。
「花岡宰判勘場跡/御茶屋跡… 続きを読む
山口県光市 第二奇兵隊石城山本陣跡
高杉晋作が奇兵隊を結成した事をきっかけに、
長州藩内で多くの諸隊が結成され、
周防東部でも[真武隊]が結成されました。
※はじめ秋良雄太郎らが大島で結成。
後に白井小助、世良修蔵らが再興。
当初は専光寺… 続きを読む