南部家」タグアーカイブ

秋田県鹿角市 大湯館跡

大湯館大湯城とも呼ばれ、
正確な築城年は不明ながら鎌倉中期に、
大湯氏が築城して居住したとされます。
戦国時代に大湯氏は南部家の配下となり、
江戸時代初期もこの地を治めましたが、
正保年間(1644~48)に断絶した為、
大湯は盛岡藩御三家北家続きを読む

秋田県鹿角市 花輪館跡

花輪館は鹿角の豪族花輪家の居城で、
鹿角四十二館のひとつでした。
花輪家は後に南部家に敗れて追放され、
代わって大光寺家が入って城下を整備。
その後は中野家が花輪館に入り、
花輪通(鹿角南部)を所有しました。
但し城下の花輪町や、
尾去沢鉱山盛岡藩続きを読む

秋田県鹿角市 長年寺/花輪南部家墓所

長年寺は鹿角市花輪にある曹洞宗の寺院。
中野家(花輪南部家)の香華院として創建し、
領地の転居に伴い寺地も移転しています。
加賀宗徳寺4世大陰慧全禅師は、
衆生済度の為に奥州九戸に至ると、
九戸家続きを読む

青森県三戸郡 三戸城跡

三戸城三戸南部家の居城だった城で、
約2百年間居城とした聖寿寺館が焼失し、
※家臣の赤沼備中が24代南部晴政を恨み、
 放火したという。
新たな居城として築かれた城です。
熊原川を臨む台地に曲輪を配置した城郭で、
南部家の本拠に相応しい広大な山城でした。


「… 続きを読む

岩手県二戸市 福岡宿跡

福岡宿奥州街道の97番目の宿場町。
元々は二戸と呼ばれていましたが、
九戸政実の乱後に福岡と改称されました。


九戸城跡周辺。緑の線が奥州街道で、
ピンク線が九戸村に続く白鳥道。
青でぼかした辺りが宿場だった場所。

南から浪打峠を越えて北上し、
久府坂を下ったT字路から、
福岡宿に入ります。… 続きを読む

青森県三戸郡 南部利直墓所他

南部利直南部家26代南部信直の長男で、
父の死去に伴い家督を相続しましたが、
その翌年に関ケ原の戦いが発生した為、
慶長出羽合戦東軍として参加。
これにより10万石を安堵されました。
領内に金が産出した事で財源に恵まれ、
藩庁を三戸から盛岡に移し、
盛岡城続きを読む

東京都港区 金地院/七戸南部家墓所他

金地院には七戸藩南部家の墓もありますが、
東京大空襲で破壊されてしまった為か、
歴代全ては見つかりませんでした。

七戸藩南部家は麹町南部家とも呼ばれ、
元々は5千石の旗本寄合席でしたが、
盛岡藩より分地されて1万1千石となり、
これが認められて諸侯に列しています。
基本的には宗家の蔵米支給だったようで、
江戸に常駐する… 続きを読む