台場跡」タグアーカイブ

鳥取県東伯郡 由良台場跡

由良台場鳥取藩が設置させた台場。
文久3年に造営されたもので、
外国船に対する防衛がその目的でした。
高島秋帆に学んだ武信潤太郎の総指揮で、
その工事が行われたようで、
約7万5000人が動員されたという。
その費用は庄屋豪農献金が充てられ、… 続きを読む

鳥取県東伯郡 橋津台場跡

橋津台場鳥取藩が設置させた台場。
文久3年に造営されたもので、
外国船に対する防衛がその目的でした。


因伯両国海岸調査絵図(河村郡)」。
案内板に印刷されたもの。
橋津宿と台場の位置関係がわかります。


橋津台場跡」。
台場跡は草が生い茂り木々も多く、
全体の写真が上手く撮れなかったので、
台場に登って撮影。
結構巨大な台場だったようです。… 続きを読む

鳥取県東伯郡 赤碕台場跡

赤碕台場鳥取藩が設置させた台場跡。
文久3年に造営されたもので、
珍しい西洋式半円形の台場でした。


赤碕台場跡」。
赤碕台場跡は良好な状態で残っていましたが、
昭和33年より開始された国道9号線の工事で、
残土の捨て場となって埋められています。… 続きを読む

鳥取県米子市 淀江台場跡

淀江台場鳥取藩が文久3年に築かせた台場。
大庄屋松波宏年が所有の田畑を提供し、
その長男松波宏元が設計したもので、
宏元は長崎蘭学築城法を学んでおり、
その知識が台場設計に生かされました。


淀江台場跡続きを読む

東京都港区 品川台場跡

嘉永6年(1853)のペリー来航を受けた幕府は、
江戸湾に11基の台場造営を計画し、
嘉永7年(1854)江川英龍の指揮で建設が開始。
第一台場から第三台場が先に竣工し、
その後に第五台場第六台場が竣工します。
しかし計画の縮小で… 続きを読む

島根県出雲市 手引ヶ浦台場跡

松江藩は藩領最西端の田儀湊の防御の為、
港の西側にある田儀川の河口と、
東側の手引ヶ浦の高台に台場を建設。
大砲を3門ずつ配備していたようです。


手引ヶ浦台場公園」。
幕末期の松江藩は相次ぐ外国船の出没に備え、… 続きを読む

福井県小浜市 川崎台場跡

幕末期の小浜藩海岸防衛の為、
嘉永4年に幕府に台場建設を届け出て、
領内に約30ヶ所の台場を建設しました。

川崎台場は安政元年(1854)に設置され、
小浜城周辺5ヶ所の台場のひとつとして、
7門の砲座があったとされます。
造営は土木業を営んだ重田卯右衛門や、
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