随願寺は増位山山頂に位置しますが、
その山麗に残る諸堂の念仏堂は、
榊原忠次が夫人を供養する為に、
常行三昧堂として建てたものという。
「念仏堂」。
本尊は阿弥陀三尊。
応徳2年(1085)に白河天皇が、… 続きを読む
兵庫県姫路市 随願寺霊苑
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随願寺は増位山山頂に位置しますが、
その山麗に残る諸堂の念仏堂は、
榊原忠次が夫人を供養する為に、
常行三昧堂として建てたものという。
「念仏堂」。
本尊は阿弥陀三尊。
応徳2年(1085)に白河天皇が、… 続きを読む
姫路藩酒井家の家老河合(川合)家は、
遠州松葉城主河合宗忠の子で、
徳川家康に仕えた河合宗在を祖とし、
酒井正親に与力となって後に家臣となり、
代々雅楽頭家の家老を務めた家系。
4代当主川合宗次が川合姓… 続きを読む
染井霊園にある酒井忠惇家の墓所。
忠惇は姫路藩主でしたが、
明治22年に別家を興しており、
姫路藩酒井家とは別家となっています。
「正三位男爵酒井忠惇墓
室 酒井鉉子墓」。
姫路藩9代(17代当主)酒井忠惇と、
その室酒井鉉子の墓。
大身旗本… 続きを読む
染井霊園にある酒井忠績家の墓所。
忠積は姫路藩主でしたが、
明治22年に別家を興しており、
姫路藩酒井家とは別家となっています。
「正四位男爵酒井忠績之墓(右)」、
「正四位男爵酒井公碑(左)」。
姫路藩8代(雅楽頭家21代)酒井忠績の墓と、
その顕彰碑。
大身旗本酒井忠誨… 続きを読む
景福寺山にある尊攘志士松下鐵馬の墓。
「松下鐵馬高光之墓(左)」、
「松下よね之墓(右)」。
松下鐵馬は姫路藩尊攘志士で、
剣技や砲術に優れた人物だったという。
江戸や京都で尊皇攘夷運動を展開し、… 続きを読む
景福寺山にある永田伴正の墓。
「従五位永田伴正君
同夫人伊尾子 墓」。
姫路藩尊攘志士永田伴正は、
藩内尊攘派首魁河合惣兵衛らと行動。
文久3年に児島又右衛門殺害に関与し、
家名断絶… 続きを読む
景福寺の墓地は裏手の景福寺山。
幕末姫路藩士の墓も多くありましたが、
これは別記事とするとして、
頂上付近にある松平明矩の墓所へ。
「姫路藩主松平明矩墓所」。
訪問時は初夏で草木が生い茂り、
蚊もかなり多くて苔掃も大変ですが、
案内板も設置されていましたので、
なんとか辿り着きました。
「正眼院殿廓然無聖大居士塔(五輪塔)」、
「播山康公墓碑… 続きを読む