染井霊園にある酒井忠績家の墓所。
忠積は姫路藩主でしたが、
明治22年に別家を興しており、
姫路藩酒井家とは別家となっています。
「正四位男爵酒井忠績之墓(右)」、
「正四位男爵酒井公碑(左)」。
姫路藩8代(雅楽頭家21代)酒井忠績の墓と、
その顕彰碑。
大身旗本酒井忠誨の長男に生まれ、
7代藩主酒井忠顕の養子となり、
万延元年に養父の死去により家督を相続。
文久2年に京都所司代臨時代行となり、
京都市中の警備を行った為、
この功績で老中に就任します。
将軍徳川家茂が上洛すると、
忍藩4代松平忠誠と留守居役を務め、
慶応元年には大老に就任。
長州征伐後の幕政改革に乗り出し、
同時に藩内勤皇派の弾圧も行いますが、
慶応3年に隠居しました。
新しく藩主となった実弟酒井忠惇は、
早々に老中となっていますが、
鳥羽伏見の戦いの敗戦後に罷免され、
新政府より謹慎処分を受け、
忠績も同時に謹慎していますが、
新政府の徳川家への処遇を批判し、
所領返上の嘆願書を提出。
この行為の対応に苦慮した姫路藩は、
忠績及び忠惇の側近を一掃し、
実弟の酒井忠恕に忠績を預けて、
騒動を集結させています。
その後の明治22年に男爵を授与され、
酒井忠績男爵家を創設。
明治28年に68歳で死去しました。
この墓は近年に無縁墓となったようで、
撤去が予定されているとのこと。
数ある酒井家墓地や菩提寺への改葬等、
何らかの方法で保存して頂き、
最悪の事態は避けて欲しいなと思います。
墓所は1種イ4号6。
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