家老家」タグアーカイブ

三重県三重郡 金剛寺/桑原家墓所

桑原家は元々織田家に仕えていた家で、
桑原武左衛門重成の頃に織田信雄に仕え、
後に土方雄久に2000石で仕官しました。
菰野藩の桑原家は本家の伝左衛門家と、
分家の西桑原家の二家が存在。
菰野藩の家老は桑原伝左衛門家か、
山本家続きを読む

岐阜県大垣市 島津豊久墓所

関ヶ原の戦い島津義弘率いる島津勢は、
敵軍の中央を突破する事を決意し、
捨て奸の戦法を用いて戦戦を離脱しました。
しかし約300名程残っていた兵数は、
最終的に義弘以下80余まで減ったとされ、
総大将の義弘を逃がす為に、
将兵は死ぬまで戦ったとされます。
義弘の甥である島津豊久殿軍を務め、
自らも踏み留まって奮戦。
瀕死の重傷を負いながらも義弘を追い、… 続きを読む

三重県伊賀市 藤堂高清墓所

藤堂高虎の異母弟藤堂高清は、
上野城代を務めて寛永17年(1640)に死去。
上野の長者屋敷に葬られたとされます。
その墓所は昭和19年(1944)に海軍に接収され、
伊賀海軍航空基地の建設に伴い、
西側の神道墓地に移転したとのこと。


月山藤堂問碣」。… 続きを読む

三重県伊賀市 上行寺/藤堂高清墓所

藤堂高清藤堂高虎の異母弟で、
一門藤堂出雲家の家祖。
初陣の大坂冬の陣で奮戦し、
真田丸での戦闘で負傷しています。
翌年の夏の陣では名張城代を命じられ、
出陣を許されませんでしたが、
無断で弟の藤堂正高続きを読む

広島県広島市 妙頂寺/三原浅野家墓所

妙頂寺は中区十日市町にある日蓮宗寺院。
天文20年(1551)頃に現在の安芸高田市から、
現在地に移転している事から、
毛利家の庇護を受けていた模様。
原爆の爆心地から550mの距離にあり、
伽羅は破壊されてしまったようで、
その後に再建されて現在に至っています。


本堂」。
鉄筋RC造本堂
原爆投下の翌日には妙頂寺の… 続きを読む

鳥取県東伯郡 西向寺/和田家墓所

西向寺は東郷町松崎にある浄土宗寺院。
慶長元年(1596)に創建されたようですが、
享保5年(1720)頃には衰退していたという。
この状況を10世誠誉が憂いて、
領主の和田家4代和田昭信を祀った為、
以降は和田家より庇護を受けています。


本堂」
和田家の庇護を受けて間もなく、
寺は失火で… 続きを読む

鳥取県東伯郡 體玄寺/津田家墓所

體玄寺八橋にある臨済宗寺院。
中村一忠米子に入封した際に、
駿河国の領地内にあった慶久寺を、
八橋城の南に移転させています。
中村家が改易となると市橋長勝が入り、
矢橋藩続きを読む