新城島津家は垂水島津家4代島津久信が、
次男島津久章に創設させた家で、
久章は初代藩主島津忠恒の七女を室とし、
その化粧料1000石と祖母の3700石を合わせ、
4700石で創設されています。
後に2代藩主島津光久の名代を任じられ、
久章は江戸に赴いていますが、
徳川家に無礼があったとされており、… 続きを読む
鹿児島県垂水市 新城島津家墓所
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新城島津家は垂水島津家4代島津久信が、
次男島津久章に創設させた家で、
久章は初代藩主島津忠恒の七女を室とし、
その化粧料1000石と祖母の3700石を合わせ、
4700石で創設されています。
後に2代藩主島津光久の名代を任じられ、
久章は江戸に赴いていますが、
徳川家に無礼があったとされており、… 続きを読む
享保9年(1724)に薩摩藩3代藩主島津綱貴は、
三男島津久儔に大姶良郷より6000石を与え、
花岡島津家を創設。
久儔は木谷村と野里村で花岡郷を新設し、
木谷城跡… 続きを読む
花岡の集落より南東の高台を上ると、
花岡島津家墓所のある真如院跡があります。
享保9年(1724)に薩摩藩3代藩主島津綱貴は、
三男島津久儔に大姶良郷より6000石を与え、
花岡島津家を創設。
久儔は木谷村と… 続きを読む
長崎市賑町にある大音寺坂の名称は、
かつて坂上に大音寺があった事に由来。
元々坂上にはミゼリコルディア本部があり、
キリシタンの福祉施設となっていましたが、
後のキリシタン弾圧で破壊されたようで、
その跡地に大音寺が建立されました。
寛永15年(1638)に大音寺は移転し、
天満宮が置かれて天満坂ともよばれますが、… 続きを読む
中川久貞墓所のある小富士山の東側。
道沿い約700m東に幾と、
岡藩の一門家老家の墓所があります。
「中川氏源久豊塔」。
一門家老中川久豊の墓。
名君とされる3代藩主中川久清の次男で、
4代藩主中川久恒の弟にあたります。
久清は久恒に家督を譲って隠居し、… 続きを読む
籌勝院は岩国市小瀬にある曹洞宗寺院。
湯原八幡宮の社坊だったようで、
慶長元年(1596)に吉川家家老香川春継が、
小瀬村を与えられて領主となった際に、
ここを実父香川光景の位牌所とし、
喜本院と称させたのが始まり。
春継もその子香川家景… 続きを読む
台照院は柳川市西魚町にある日蓮宗寺院。
初めは法華寺と呼ばれていましたが、
2代藩主立花忠茂の実兄立花政俊が葬られ、
その法名から台照院と改称されました。
「本堂」。
文政11年(1828)建立の本堂。
天井に… 続きを読む