顕本寺に再訪して吉村家の墓所へ。
吉村家は桑名藩の家老家で、
福島正則に仕えた吉村宣充を祖とし、
福島家の改易で浪人となり、
後に松平定綱に召し抱えられました。
宣充は顕本寺に隣接する土地を購入し、
その土地を寺に寄付しており、
吉村家の菩提寺と定めています。
本家と分家の二家があったようで、… 続きを読む
「家老家」タグアーカイブ
三重県名張市 名張藤堂家邸跡
寛永12年(1635)に藤堂高吉は伊勢国に移り、
2代藩主藤堂高次の命により名張に移住。
高吉は筒井定次の家臣松倉豊後守や、
津藩の梅原勝右衛門が居館を構えた場所に、
御殿を建設してこれを居館とします。… 続きを読む
三重県名張市 徳蓮院/名張藤堂家墓所
徳連院は名張市平尾にある曹洞宗寺院。
鎌倉末期に名張の豪族堀江宗樹が建立し、
大蓮寺として同家菩提寺となっていました。
その後は荒廃していたようですが、
寛永13年(1636)に藤堂高吉が名張に入ると、
その菩提寺に定められて再建。
以後は名張藤堂家の墓所となっています。
「本堂… 続きを読む
三重県三重郡 金剛寺/桑原家墓所
桑原家は元々織田家に仕えていた家で、
桑原武左衛門重成の頃に織田信雄に仕え、
後に土方雄久に2000石で仕官しました。
菰野藩の桑原家は本家の伝左衛門家と、
分家の西桑原家の二家が存在。
菰野藩の家老は桑原伝左衛門家か、
山本家… 続きを読む
岐阜県大垣市 島津豊久墓所
関ヶ原の戦いで島津義弘率いる島津勢は、
敵軍の中央を突破する事を決意し、
捨て奸の戦法を用いて戦戦を離脱しました。
しかし約300名程残っていた兵数は、
最終的に義弘以下80余まで減ったとされ、
総大将の義弘を逃がす為に、
将兵は死ぬまで戦ったとされます。
義弘の甥である島津豊久も殿軍を務め、
自らも踏み留まって奮戦。
瀕死の重傷を負いながらも義弘を追い、… 続きを読む
三重県伊賀市 藤堂高清墓所
藤堂高虎の異母弟藤堂高清は、
上野城代を務めて寛永17年(1640)に死去。
上野の長者屋敷に葬られたとされます。
その墓所は昭和19年(1944)に海軍に接収され、
伊賀海軍航空基地の建設に伴い、
西側の神道墓地に移転したとのこと。
「月山藤堂問碣」。… 続きを読む
三重県伊賀市 上行寺/藤堂高清墓所
藤堂高清は藤堂高虎の異母弟で、
一門藤堂出雲家の家祖。
初陣の大坂冬の陣で奮戦し、
真田丸での戦闘で負傷しています。
翌年の夏の陣では名張城代を命じられ、
出陣を許されませんでしたが、
無断で弟の藤堂正高… 続きを読む