慈廣寺は佐賀市諸富町にある曹洞宗寺院。
太田道灌の子孫太田浄泉が郎党を従え、
享禄2年(1廣529)に太田郷に下向し、
そこに居城を築いて田中城と称します。
浄泉は龍造寺剛忠の配下となり、
川副東部の守備を任されたとされ、
天文2年(1533に慈廣寺を創建しました。
「… 続きを読む
佐賀県佐賀市 慈廣寺/太田鍋島家墓所
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慈廣寺は佐賀市諸富町にある曹洞宗寺院。
太田道灌の子孫太田浄泉が郎党を従え、
享禄2年(1廣529)に太田郷に下向し、
そこに居城を築いて田中城と称します。
浄泉は龍造寺剛忠の配下となり、
川副東部の守備を任されたとされ、
天文2年(1533に慈廣寺を創建しました。
「… 続きを読む
妙玉寺は佐賀市本庄町鹿子にある日蓮宗寺院。
鍋島家外戚石井家の菩提寺のひとつで、
その諸流の横岳鍋島家、深堀鍋島家が、
菩提寺としていました。
「本堂」。
妙玉寺は元亀元年(1570)の創建で、
元々は同市浄円寺… 続きを読む
大興寺は佐賀市神野東にある黄檗宗寺院。
貞享2年(1685)に創建されており、
諫早家4代当主諫早茂真の正室菊姫が、
桂巌明幢禅師を招いて建立されました。
「本堂」。
平成18年に火災で本堂や方丈… 続きを読む
正定寺にある城代家老土井内蔵允家墓所。
「土井内蔵允家墓所」。
初代藩主土井利勝の同母弟土井元政は、
※利勝の義父土井利昌の実子で、
義兄だったともされます。
城代家老を勤めて3000石を拝領し、
主家の石高加減で変動はあったものの、
幕末期も3000石の禄高を得ていました。… 続きを読む
大湯館は大湯城とも呼ばれ、
正確な築城年は不明ながら鎌倉中期に、
大湯氏が築城して居住したとされます。
戦国時代に大湯氏は南部家の配下となり、
江戸時代初期もこの地を治めましたが、
正保年間(1644~48)に断絶した為、
大湯は盛岡藩御三家北家… 続きを読む
盛岡藩との国境に程近い十二所は、
久保田藩にとって重要な場所であり、
その防御の為に重臣茂木家が派遣され、
十二所城代としてその藩境を守りました。
「十二所城代茂木家墓所」。
茂木家の墓所は杉林の中。
墓所は市の文化財として守られており、
状態良く保たれています。
茂木家は清和源氏の流れを汲む名門。… 続きを読む
長年寺は鹿角市花輪にある曹洞宗の寺院。
中野家(花輪南部家)の香華院として創建し、
領地の転居に伴い寺地も移転しています。
加賀宗徳寺4世大陰慧全禅師は、
衆生済度の為に奥州九戸に至ると、
九戸家… 続きを読む